記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年10月24日

値踏みされた“器量”:永井孝昌

 値踏みされたな、って実感した経験、ありますか。

 18日は欧州CLの取材でミュンヘンへ。取材申請許可が下りたのが17日の午後だったので、慌ててあれこれ手配したけれど、どうにも宿だけが見つからない。ネットで検索してもダメ。電話しても「満室」の返事ばかり。困った揚げ句に駆け込んだ旅行代理店でようやく1室だけ見つけた5つ星ホテルの空き部屋は、1泊、日本円にして約4万円ナリ。高い。高すぎる。と思ったけれど、ほかにないので予約を入れた。

 当日。取材を終えてホテルに到着したのは、午前1時前だった。重厚な入り口の扉を開け、フワフワのカーペットの上をトランク引きずりながらフロントへ向かうと、待っていたのは50歳ほどの、深夜にもかかわらず一切の乱れなく高級スーツを着こなしたコンシェルジュ。で、この人がオレを見る。とにかく見る。なめ回すようにオレを見る。ジャケット、時計、ズボンに靴。「今、ここを見てます」とはっきり分かるくらいあからさまに見る。「あぁ、値踏みされてるな~」と実感して立ち尽くしていると、いきなり高圧的な口ぶりで「名前は?」と言われたからカチン、ときた。

 「あなたは当ホテルにふさわしいお客さまではございません」といちいち感じさせるような口調と態度。頭に血が上った。「ポーターが必要か」という素っ気ない声をきっぱりと断って、部屋に入ると前夜は徹夜だったというのになかなか寝つけなかった。

 だが一夜明け、冷静になって、気付く。「あなたはこのホテルでは快適に過ごせませんよ」と言っていたかのようなコンシェルジュの応対は、朝、ネクタイを、化粧をした紳士淑女ばかりに囲まれたレストランでの朝食ではっきりと感じた居心地の悪さをあらかじめ伝えていたのだと。値踏みしていたのは財布の余裕ではなく、心のゆとりなのだと。そこでは、4万円払えば4万円分の快適が約束されるわけではない。代価では手に入れられない精神性と格式が、そこにはあった。

 代償を求める風潮。何かをすれば、それに見合うものが返ってくるのが当然、という思考。その甘い認識にどっぷり漬かり、心の豊かさを失っていたのかもしれない。

 「あいさつされても、あいさつを返さない先輩とはいかがなものか」と嘆くのは、目上に対して敬意を表現するという、あいさつの持つ本来的な精神性を忘れていないか。「メシをおごってやったのに礼もない」と怒るのは、おごった相手が悪いのではなく、おごる相手を見誤った自分の眼力不足ではないか。「そう考えられないのが、今のあなたの器量ですよ」。気高きコンシェルジュに、そう教えられた気がした。

 ローマで高級レストランに入った時、「こちらへどうぞ」と言う案内係にさりげなく背中を押されたことがある。彼らは、スーツの手触りで客を値踏みして、案内する席を決める。ただでさえ一流レストランの格調高さに気押されているのに、「あ、値踏みされた」と気が付いてさらに動揺するのが今のオレ。35にもなって、5つ星の「精神世界」はまだまだ着こなせないでいる。

October 24, 2005 12:10 PM