記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年09月25日

すごい議員が現れた:上野耕太郎

 すごい新人が登場した。私が担当している日本ハムのルーキー、ダルビッシュ有投手(19)の話ではない。そのルーキーは北海道旭川市出身とだという。私と同郷だ。

 名前は杉村太蔵氏といい26歳。先日の衆院選で初当選した。21日、新人議員研修会に参加し、1人だけ「居残り特訓」をさせられたという。党執行部からその奔放発言に対し「待った」がかかるという得意なキャラクターですでに知っている方も多いと思う。

 強烈だ。「たなからぼたもちとはボクのためにあるのかというくらい」「新幹線も飛行機もグリーンですよ、グリーン」「当選して最初に議員報酬を調べました。そしたら年収2500万円ですよ」といった発言を繰り返す。怪物だ。

 旭川の有名な歯科医師の息子でテニスで札幌藻岩高に越境入学。国体で同校初の全国制覇をエースとしてもらたしたという。居残り特訓を終えた杉村議員は「お父さん、お母さんに『お前らしくやれ』と言われた。感じたことはどんどん言いたい」と言い放つ。自分の主義主張を説明するときに「お父さん、お母さんに」というもっとも社会人として危険な言葉を選択してみせる。

 はっきり言って、理解できない。すご腕だ。というか予定調和といったらよいのだろうか、様式美のようなものが、ぶっ壊れている。こういうときはこう話すとか、そもそも国会議員とは、といった固定観念からはるかに逸脱している。かつて我々の世代は「新人類」と呼ばれたが、また新たな人類の登場する時期にきているのだろう。「既存概念からの脱走兵」だ。

 まあ、どうでもいい。

 結局は結果だったりする。26歳の新人議員に居残り特訓が課せられた日、後藤田正晴氏が91歳で死去したことが報道された。官房長官や副総理を歴任し、護憲派と呼ばれた。72年のあさま山荘事件で警察庁長官として事件解決を指揮したことでも知られる。亡くなった日の報道では、政界のご意見番に対し賛辞を惜しまなかった。近年、政治家の死でこれほど惜しまれた人を私は知らない。

 ただし、後藤田氏は政治家に成り立てのころの評判は悪かったように記憶している。田中角栄首相がごり押しし、後藤田氏は地元徳島から出馬。当時の実力者だった三木武夫氏の強い影響力があった四国からの強引な出馬に後々、遺恨を残したという。後藤田氏の旧内務省出身という肩書も「独善的」というイメージを先行させた。そして30年が過ぎた。政治思想というのは人によってそれぞれあると思うが、評価は大きく変わった。

 分かり切ったことですが…。「入る」ことが目的ではなく、そこで何をするのかが大切なわけですよね。年収2500万円になることも、グリーン車に乗れることもそれが付随してくるだけで、目的ではないわけですよ。杉村議員は言う。「ボクが国会議員になってどう感じるのか、庶民とどう違うのか…」。すでに自分は庶民と違うとでも言いたげなその言葉を選んでみせる。「トホホ…。頼むよ、同郷の後輩先生」と思わず言いたくなった。

September 25, 2005 10:26 AM