2005年07月06日
削られた栄光と歴史:永井孝昌
そこだけ、白くなっていた。
ベルリン五輪スタジアムの聖火台の後方には、36年ベルリン五輪の各競技の金メダリストの名前が刻まれた高さ4メートルほどの巨大な石碑が並んでいた。その下に立ち、首を後ろにそらせて探すのは、やはり「JAPAN」の文字。女子200メートル平泳ぎのところには「MAEHATA」の文字があった。男子3段跳びの横には「TAJIMA」の名も見つけた。だがその前に、いや、石碑の下に立って真っ先に目に飛び込んできたのは、この文字だった。
MARATHONLAUF 42195m SON JAPAN
石碑に埋め込まれた、黒い「JAPAN」の文字。その周辺だけが、不自然に白くなっていた。じっと眺めていると、取材に同行したドイツ在住の通信員が後ろから声を掛けてきた。「ガイドさんが今、『男子マラソンの優勝者の国籍の部分は昔、KOREAだった』と言ってました。日本人観光客が抗議してJAPANに変えられたそうです」。振り向くと10人ほどのドイツ人のスタジアムツアー参加客の輪が、石碑の下のオレを見ていた。その中心でガイド氏が「ヤパンなんちゃらかんちゃら」と言っている。ドイツ人の輪も、その言葉に少しだけ笑った。「今、なんて言ったの?」。通信員に聞くとこう言った。「私たちは日本人じゃないから、よく分からないですけどね、と」。
36年8月9日、孫基禎(ソン・キジョン)氏(02年11月逝去、享年90)は男子マラソンで金メダルを獲得した。当時、朝鮮は日本の植民統治下にあり、孫氏は歴史にほんろうされるままに日本代表として出場していた。その歴史的背景を踏まえ、70年代初頭にはドイツオリンピック委員会が「JAPAN」の文字を「KOREA」に修正していたはずだった。だが現実に今、石碑に刻まれているのは、2度の修正で削られて白くなった石の上に埋め込まれた「JAPAN」の文字。69年前、孫氏はこのスタジアムに流れた君が代をどんな思いで聞いたのだろう。天国から今、この石碑の文字をどんな気持ちで見ているのだろう。石碑が物語る歴史の重みだとか、戦争の過ちなんてことを言うつもりはない。ただオレは、東西のカベがなくなったドイツで聞いたガイド氏の言葉に、猛烈な切なさとむなしさを感じていた。
来年7月9日、ドイツW杯の決勝戦はこのスタジアムで行われる。大会のテーマは「Time to make friends」。日本人と韓国人が隣り合わせてこの石碑を見上げた時、そこに友情は生まれるのだろうか。ドイツ人が白く削られた石の本当の意味を知った時、彼らは日本人に友好の手をさしのべるのだろうか。無力感の中で、ただひとつ分かっていること。1年後、歴史が上塗りされたままの五輪スタジアムを再訪する機会があったとしても、きっとオレは石碑には近づかない。近づけない。(バイエルンのスタッフ、ケルン市局の皆さまはじめ、1カ月間の海外出張中、取材に協力してくださった各地の方々に、この場を借りてお礼申し上げます)。
July 6, 2005 10:58 AM
