2005年06月02日
人が人を思うに感動:松田秀彦
「人が人を思う」。そんな当たり前のことに素直に感動した。
芸能面の新連載「夢追い群像」で高倉健さん(74)と親しい方々に話を聞く機会を得た。健さんは、数多くいる俳優の中でも、取材機会の極端に少ない人だ。プライベートについても「そういう趣味はありませんから」と、自分から話すことはない。著書や過去のインタビュー記事を読んで実像をたぐりよせることもできるが、肉声にかなうものはない。健さんの俳優生活とともに歩んできた映画監督の降旗康男さん(70)と、健さんを父親のように尊敬し、慕う俳優の中井貴一さん(43)に取材をお願いした。健さんの肉声を2人を通して聞きたかった。「健さんの映画に対する情熱や近しい方が感じる生きざまを読者に紹介したい」。取材意図を理解していただき「健さんのためなら」と快く応じてくれた。自分を語りたがらない健さんに代わって、いろいろな話をするのはつらい立場でもあるはず。応じていただき、ありがたかった。
ストイックなイメージをそのまま証明するエピソードも数多く聞いた。撮影現場でスタッフが懸命に働いている時、決してイスに腰掛けない。厳冬の地のロケでもスタッフが動いている時は、たき火や暖房器具のそばにいかない。「スタッフが頑張っているのに自分だけ楽をすることなどできない」。そう言っている健さんの姿が目に浮かんでくる。
逆に印象的だったのは「気さくな健さん」だった。カラオケも楽しめば、ダジャレや冗談も言う。若い時は朝寝坊だった、などと聞くと、失礼ながら親近感を覚えた。すると、降旗監督はこう続けた。「そういう健さんも、本当に魅力的。あえて僕らが話すのは失礼かも知れないが、そういう魅力を引き出せなかった責任を感じています」。
責任を感じる。その一言に、健さんに対する降旗監督の思いが伝わってきた。
健さんに、いつまでも「寡黙」「不器用」「男の中の男」というイメージを保つことを期待しているファンは多い。それが高倉健だからと。健さんも、降旗監督も、その期待に十二分に応え続け、今も楽しませ続けている。そこにみじんの後悔もないはずと思い込んでいた。だからこそ「責任を感じます」と寂しそうに言った降旗監督の表情が忘れられない。
降旗監督は、間違いなく日本映画界が生んだ希代のトップスターを支え続けてきた。健さんファンにとって、たまらない充足感を与え続けてきた。「日本の男の生き方」「昭和の男の生き方」。そうした象徴を多くの人の心に刻み込んできた。そうした誇りと自負もあるはずだ。それでも「責任を感じる」と言えるのはきっと、ファンに対してというよりはむしろ、健さんが、自分からそうした幅広い魅力を打ち出すことができないと知っていながら、導くことができなかった自分を責めているのだろう。人は、ほれ込んだら、そこまで人を思うことができる。
June 2, 2005 12:42 PM
