記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年04月29日

西野イズム復活を:横田和幸

 人間は年齢を重ねていくうちに、性格や考え方は変わっていく。


 サッカー日本代表のMF中田英寿(28=フィオレンティーナ)と初めて会話したのは、平塚(現湘南)入団2年目の96年3月。アトランタ五輪アジア最終予選を開催していたマレーシアだった。当時は19歳。話題提供の意味で「(Jリーグ開幕戦で)平塚が負けたよ」と振ってみた。


 「僕はそのことに関知していません」。機械的な口調はまるで国会の答弁。腰が抜けそうな感覚に襲われた。アンタの所属先ちゃうの? 記者は内心では突っ込みを入れていた。


 その2年半後、98年8月にまたもや取材の機会を得た。W杯フランス大会で活躍、平塚からセリエAペルージャに移籍した直後だった。ヒデ様の取材で渡欧することになり、日本で最新号のサッカー誌を購入、手土産にして現地入りした。


 「ごめんなさい、先週号をまだ読んでないので、その雑誌は読めません。僕はバックナンバーの順番に読まないとだめなんです」。神経質やなあ~、と心の中で突っ込みを入れたが、その口調は実に人間味があった。ホッとした。


 同じ五輪組で現在、丸くなり過ぎた人がいる。ブラジルから歴史的金星を奪った西野朗監督(50)だ。五輪後は柏で、02年からはG大阪監督に就任し、年間順位は3、10、3位。4年目の今季も現在5位につけている。数字自体は合格なのだろうが、個人的に大きな不満を持っている。


 記者は西野イズムが大好きだった。過去形だ。9年前、信念を曲げない姿にしびれた。不必要と思えばヒデ様でも試合に使わなかった。規律は絶対に守らせた。非公開練習は五輪時はブラジル戦前日の1回だけ。言動に確固たる自信がにじんだ。柏時代も強気な采配でナビスコ杯を飾った。


 それがこの1、2年、すっかり変わった。今季は練習に遅刻した選手を試合に即起用した。試合前のミーティングが長くなった。週に1、2回は非公開練習を実施。試合中はベンチで迷った表情を浮かべる。格下との対戦で、あえて先に選手、システムをかえて自滅を招く。周囲からは「普通の監督になってしまったなぁ」という声を聞く。


 Jリーグでは同じクラブで続けて指揮するのは3年が限界という定説がある。安住の地は決してプラスにはならないからだ。4年目以降に突入しているのは鹿島トニーニョ・セレーゾ、東京原、G大阪西野の3監督だけ。続投できるのは好成績を収めている証拠で否定する気はない。要は丸くなっても優勝できればいいのだが。


 中田は現在、所属先で出場機会が激減している。西野監督は善戦マンの汚名返上に立ち向かう。キーワードは9年前、カナリア軍団に正面から立ち向かった精神力だと思う。懐古趣味と言われても構わない。あのストイックな勝負師・西野朗に戻ってほしい。ならば、今年はG大阪の優勝で決まりだ。

April 29, 2005 11:46 AM