記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年04月28日

真剣勝負、苦い思い出:上野耕太郎

 プロ野球の取材を担当している。当然のことだが負け試合の取材は選手たちの口も重い。連敗でもしていれば余計にだ。ピリッとしたムードだが、そこで取材をしないわけにはいかない。25日、1-10で日本ハムはソフトバンクに完敗した。選手たちが厳しい表情で引き揚げていくなか、ふっと思い出したことがある。


 2つの失敗だ。1つは94年のドラフト会議。私は新人だった。北海道で取材をしていた。この日は駒大岩見沢高から駒大に進学した本間内野手がお目当てだった。当時のダイエーに3位指名された。周りの記者がざわめいていた。よく分からず聞いてみると駒大に進学が決まっていた城島捕手をダイエーが1位に強行指名したという。駒大関係者は激怒し、本間選手のプロ入りも厳しいという話も会場では早速、伝わってきた。


 長嶋、王監督というきらびやかなスターが集うドラフト会議で、ものすごい迫力を持つ初老の男性が登場した。50人以上の記者が囲み始めた。初老の男性はいちべつして「何だ」と記者たちを「目」で押し返した。当時球団の専務を務めていた根本陸夫氏だった。99年4月30日に王ダイエーの基礎を築いた根本氏は66歳で急死した。球界の寝業師とも呼ばれた同氏に私を含めた記者はたじろいだ。さわるな-。体からそんな雰囲気が出ていた。「本間君は…」という一言が聞けなかった。反省した。一方でプロ野球ってすごい人がいるもんだと正直、思った。


 聞きたくても聞けない。そんな体験は新人だったからなのかと思っていた。03年9月9日のこと。東京で社会部員だった私は総裁選を前に橋本派の藤井孝男元運輸相を担当した。この日は自民党本部で小泉、亀井、高村、藤井氏の4人による立会演説会が開かれた。それが終わって7階のホールから議員が出てきた。階段で追いかけると偶然、藤井氏の後見人的な立場だった野中広務元幹事長が横にいた。


 タイミングが良かった。階段で2人きりだ。話を聞いてしまおう。「今日の藤井氏の演説は…」。聞こうとした。ふっと野中氏に近づいた。さわるな-。体からすさまじいばかりの何かが発散されていた。あの時と同じだ。ひるんだ。もう1度、覚悟を決めたが全身がビリビリした。硬直し、言葉が出なかった。勇気がない。深く反省した。そして、その2時間後、野中氏は政界引退を発表した。悔やんだ。


 今、プロ野球を取材していて思う。記者として当然だけれども前に1歩、足を出そうと。私はよく言う相手との「立ち合い」に弱い方だ。ズケズケ聞けるようなタイプでもない。ただし、これが仕事だ。その状況を生で見て、感じて、それを自分の言葉で伝えることが。


 なぜか負けた試合でそんな基本的なことに立ち返った。そして、ビリビリとしたムードを持つ人たちに会うことができる仕事だとも思い返した。真剣勝負だからこそ味わえる醍醐味(だいごみ)。もっと伝えなければと真剣に思った。

April 28, 2005 10:25 AM