2005年04月30日
ガラス張りの新鮮さ:高木一成
何年も前の話だが、知事室をガラス張りにした田中康夫長野県知事は、今さらながら変わった人だなと思った。不特定多数の人に「見られる」感覚って、心地よく感じるものなのだろうか?
今開催からオープンした東京競馬場の新スタンドの話。1つの目玉として「ホースプレビュー」なるものが登場した。JRA初の試みで、これまでファンが直接見ることができなかった検量室エリア(レース前後に騎手が負担重量の確認をしたり、着順確定を待つ所。勝負服の着替えもする)を、ガラス張りの壁越しに間近に見渡すことができるというもの。野球だったらベンチ裏をファンが堂々とのぞけるようなものだ。
レース後の取材は、検量室前で行う。先週はそこで妙な違和感を感じた。その正体は、以前までは壁だった部分からこちらを見ているたくさんの人の目、目、目…。ガラス越しにズラリと人が集まっており、逆動物園の感覚に陥る。もちろん僕の動きなど、誰も気にしていないのだろうが、こっちは意識してしまう。競馬予想、取材をするに当たり、馬の気持ちが少しでも分かるよう四苦八苦している中、パンダの気持ちが先に分かったような気になった。
もっとも、もっと意識してしまうのは騎手の方だろう。「正直いい気分はしない」「見せ物じゃない」という声もあった。「競馬そのものを見てほしい」というのが、騎手の多くが思っていること。あまり裏側まで見られることに気持ち悪さがあるのも、何となく分かる。
だが、ガラスの向こう側に回ってみると、感想が少し変わった。レースが終わり、馬と騎手が引き揚げてくると「来た来た」「あれ武豊かな?」とファンが沸く。首をポンポンとたたくしぐさ、騎手が馬から軽快に降りる姿。僕らは取材で見慣れているが、目の前の出来事を新鮮に感じている人が多かった。直線でズルズル後退した人気馬に乗っていた騎手が、レース後に調教師と話している姿を見て「あれ、馬の脚元がどうとか報告しているのかな」と想像を膨らませている人もいた。家族連れで来ていたあるファンは「これができたんで久々に競馬場に足を運んでみた」と話していた。
テレビやウイナーズサークルに出てくるのは、当然勝利者ばかり。負けた騎手が悔しそうな表情で引き揚げてくる姿などを見る機会は少ない。多少なりとも騎手の生の表情に触れることができるのは、ファンにとっては大きいサービスではないだろうか。
騎手会長の柴田善臣騎手は「みんな慣れていないから気にしているだろうけど、おれらは注目され、見られる職業でもあるから。プロ野球選手ももっといろいろ見られてる。ファンが喜ぶんならいいんじゃない」とホースプレビューの感想を話していた。ガラスを隔ててこちらと向こうでは、感じる雰囲気はかなり違う。だけど、レース前の緊張感、レース後の喜怒哀楽はガラス越しでも十分伝わる。今までになかった魅力を少しでもファンが知ってくれるとしたら、新しい目玉スポットは結構面白い場所になりそうだと思った。
April 30, 2005 10:11 AM
2005年04月29日
西野イズム復活を:横田和幸
人間は年齢を重ねていくうちに、性格や考え方は変わっていく。
サッカー日本代表のMF中田英寿(28=フィオレンティーナ)と初めて会話したのは、平塚(現湘南)入団2年目の96年3月。アトランタ五輪アジア最終予選を開催していたマレーシアだった。当時は19歳。話題提供の意味で「(Jリーグ開幕戦で)平塚が負けたよ」と振ってみた。
「僕はそのことに関知していません」。機械的な口調はまるで国会の答弁。腰が抜けそうな感覚に襲われた。アンタの所属先ちゃうの? 記者は内心では突っ込みを入れていた。
その2年半後、98年8月にまたもや取材の機会を得た。W杯フランス大会で活躍、平塚からセリエAペルージャに移籍した直後だった。ヒデ様の取材で渡欧することになり、日本で最新号のサッカー誌を購入、手土産にして現地入りした。
「ごめんなさい、先週号をまだ読んでないので、その雑誌は読めません。僕はバックナンバーの順番に読まないとだめなんです」。神経質やなあ~、と心の中で突っ込みを入れたが、その口調は実に人間味があった。ホッとした。
同じ五輪組で現在、丸くなり過ぎた人がいる。ブラジルから歴史的金星を奪った西野朗監督(50)だ。五輪後は柏で、02年からはG大阪監督に就任し、年間順位は3、10、3位。4年目の今季も現在5位につけている。数字自体は合格なのだろうが、個人的に大きな不満を持っている。
記者は西野イズムが大好きだった。過去形だ。9年前、信念を曲げない姿にしびれた。不必要と思えばヒデ様でも試合に使わなかった。規律は絶対に守らせた。非公開練習は五輪時はブラジル戦前日の1回だけ。言動に確固たる自信がにじんだ。柏時代も強気な采配でナビスコ杯を飾った。
それがこの1、2年、すっかり変わった。今季は練習に遅刻した選手を試合に即起用した。試合前のミーティングが長くなった。週に1、2回は非公開練習を実施。試合中はベンチで迷った表情を浮かべる。格下との対戦で、あえて先に選手、システムをかえて自滅を招く。周囲からは「普通の監督になってしまったなぁ」という声を聞く。
Jリーグでは同じクラブで続けて指揮するのは3年が限界という定説がある。安住の地は決してプラスにはならないからだ。4年目以降に突入しているのは鹿島トニーニョ・セレーゾ、東京原、G大阪西野の3監督だけ。続投できるのは好成績を収めている証拠で否定する気はない。要は丸くなっても優勝できればいいのだが。
中田は現在、所属先で出場機会が激減している。西野監督は善戦マンの汚名返上に立ち向かう。キーワードは9年前、カナリア軍団に正面から立ち向かった精神力だと思う。懐古趣味と言われても構わない。あのストイックな勝負師・西野朗に戻ってほしい。ならば、今年はG大阪の優勝で決まりだ。
April 29, 2005 11:46 AM
2005年04月28日
真剣勝負、苦い思い出:上野耕太郎
プロ野球の取材を担当している。当然のことだが負け試合の取材は選手たちの口も重い。連敗でもしていれば余計にだ。ピリッとしたムードだが、そこで取材をしないわけにはいかない。25日、1-10で日本ハムはソフトバンクに完敗した。選手たちが厳しい表情で引き揚げていくなか、ふっと思い出したことがある。
2つの失敗だ。1つは94年のドラフト会議。私は新人だった。北海道で取材をしていた。この日は駒大岩見沢高から駒大に進学した本間内野手がお目当てだった。当時のダイエーに3位指名された。周りの記者がざわめいていた。よく分からず聞いてみると駒大に進学が決まっていた城島捕手をダイエーが1位に強行指名したという。駒大関係者は激怒し、本間選手のプロ入りも厳しいという話も会場では早速、伝わってきた。
長嶋、王監督というきらびやかなスターが集うドラフト会議で、ものすごい迫力を持つ初老の男性が登場した。50人以上の記者が囲み始めた。初老の男性はいちべつして「何だ」と記者たちを「目」で押し返した。当時球団の専務を務めていた根本陸夫氏だった。99年4月30日に王ダイエーの基礎を築いた根本氏は66歳で急死した。球界の寝業師とも呼ばれた同氏に私を含めた記者はたじろいだ。さわるな-。体からそんな雰囲気が出ていた。「本間君は…」という一言が聞けなかった。反省した。一方でプロ野球ってすごい人がいるもんだと正直、思った。
聞きたくても聞けない。そんな体験は新人だったからなのかと思っていた。03年9月9日のこと。東京で社会部員だった私は総裁選を前に橋本派の藤井孝男元運輸相を担当した。この日は自民党本部で小泉、亀井、高村、藤井氏の4人による立会演説会が開かれた。それが終わって7階のホールから議員が出てきた。階段で追いかけると偶然、藤井氏の後見人的な立場だった野中広務元幹事長が横にいた。
タイミングが良かった。階段で2人きりだ。話を聞いてしまおう。「今日の藤井氏の演説は…」。聞こうとした。ふっと野中氏に近づいた。さわるな-。体からすさまじいばかりの何かが発散されていた。あの時と同じだ。ひるんだ。もう1度、覚悟を決めたが全身がビリビリした。硬直し、言葉が出なかった。勇気がない。深く反省した。そして、その2時間後、野中氏は政界引退を発表した。悔やんだ。
今、プロ野球を取材していて思う。記者として当然だけれども前に1歩、足を出そうと。私はよく言う相手との「立ち合い」に弱い方だ。ズケズケ聞けるようなタイプでもない。ただし、これが仕事だ。その状況を生で見て、感じて、それを自分の言葉で伝えることが。
なぜか負けた試合でそんな基本的なことに立ち返った。そして、ビリビリとしたムードを持つ人たちに会うことができる仕事だとも思い返した。真剣勝負だからこそ味わえる醍醐味(だいごみ)。もっと伝えなければと真剣に思った。
April 28, 2005 10:25 AM
2005年04月27日
「感動願望」に戸惑う:永井孝昌
感動させてよ。
ってパワーがすごいッス。
24日、ヤクルト古田選手が史上32人目の2000本安打を達成した。大学-社会人を経てプロ入りした選手では史上初、といった記録だけでなく、客席に投げ入れた記念ボールを拾ったファンが試合後に「古田さんが持っていた方が…」とボールを返しにきた、などなどいい話も盛りだくさん。あと1本に迫っている巨人清原選手の500本塁打も、達成のあかつきには多くのエピソードが偉大な記録を彩るのだろう。
ただ今回は、記録に挑む2人が野球界を代表する選手で、しかも記録を目前に足踏みが続いたこともあるせいか、スタンドのメートルの上がりっぷりもなかなかすごい。
打席に入れば、選手の集中力などお構いなしにスタンドではカメラのフラッシュが光る光る。携帯電話のカメラももちろん少なくない。清原選手が安打を放っても、記録を待つ観客からはため息。あくまで想像ではあるが、客席では「オレが来た日に決めんかい」「お前の記録のために仕事も無理して来とんのじゃ」(こういう時はなぜか関西人じゃない人も関西弁を使っていそう、というのも想像)って声が飛び交っていそうな、記録への敬意や祝福とはちょっとズレた「歴史の証人になりたい願望」の圧力を感じる。
人間は誰しも「感動したい」という欲望を持っているもの。だが最近は「感動させてよ」「思い出をつくってよ」という、受動態でありながら能動的に感動を求める姿勢だったり、第3者でありながら無意識に自分をストーリーの主人公的に語るような傾向が強まっているように思う。
監督のコメントで「今日は選手が頑張った」ではなく「頑張ってくれた」と聞くと、(監督は第3者とはいえないかもしれないが)違和感がある。伝える側も同じで「○○監督の一言がこのピンチを救ってくれた」と書いたり、「○○選手がついにやってくれました」と言ったりする、主観と客観がないまぜになった感動ありきの言い回しに触れることも増えた。五輪やW杯のような大きなイベントがあれば、テレビからは「感動をありがとう!」なんてタイトルの番組も流れてくる。伝える側からしてそうなのだから、世の中全体が感動に対して「もっともっと」となるのも仕方のないことなのかもしれない。
感動を与えるのはプロの使命。それを伝えるのはメディアの仕事。そしてファンには感動を求める権利がある。ただ、感動させてよという前に、その記録や偉業、歴史的瞬間を迎えるまでの積み重ねも軽視しないでほしい。2000本目、500本目も偉大な歴史の1ページ。だがそこに至るまでの1本のヒットやホームランにも同じように価値があり、感動があり、そのどれかに立ち会った人にはそれぞれに思い出がある。
記録を誇るべきは、選手。それでも今日の巨人-ヤクルト戦で記録が生まれれば、福岡ドームはそこに居合わせた、という自慢の電話で携帯電話がつながりにくくなったりするんだろうな、多分。電話の前に拍手が起こり、その予想が外れれば、うれしい。
April 27, 2005 12:00 PM
2005年04月26日
野球場に行く楽しみ:栗原弘明
思わず、見入ってしまった。14、17日とロッテが球団チアパフォーマー「M☆Splash」のオーディションを行った。千葉マリンスタジアムの正面にステージを設置。スポンサーも付き、公開という異例の形を取った。それだけ球団の期待も大きく、売り出したいという意欲が表れていた。
受験者は300人。予想を大きく上回った。ダンサー、学生、主婦、アナウンサー、レースクイーンとさまざまで18~52歳までが受けた。好きな手段でのPRもあり、新体操、バレエ、バトン、アカペラなど体を張ったアピールで熱意がストレートに伝わってきた。
球団はチアガールの再編成で他チーム、球場との差別化を図っている。チアダンスというスポーツで「お飾り」的なチアガールからは脱却しようというわけだ。そのため米NFLのワシントン・レッドスキンズの元チアリーダー、中山麻紀子さん(29)が企画広報部の一員としてディレクターに就任。オーディションでも審査員を務めた。「ダンスだけではなく、表情、ショーマンシップを見た。笑顔でチーム、観客に元気を与えるような存在になれば」と目的を語った。
合格したのは、これも予想を上回る18~31歳の76人。大所帯だが、球団チアの枠を超えた活動を目指す。76人をダンス中心、接客中心などに役割分担。中山ディレクターは「ファミリーのようになれば」とボランティア、イベントなどの出演も視野に入れている。
もともとチアリーディングは米国の大学で、フットボールチームを応援するために男子学生が声援の形を取ったのが最初、といわれる。「あくまでチームが主役。ロッテファンは熱心だし、ファンに倣って新しい応援スタイルをつくっていきたい」と中山ディレクターはいう。どのように野球とチアパフォーマンスを融合させるか、どのようなダンスで野球ファンを盛り上げるか。独自のスタイルを模索していく。
今季からプロ野球の観客数発表がより正確になった。それは現実を見つめなければならないということだ。プロ野球のニュースで、テレビカメラが瞬間的に映し出す観客がまばらなうち、外野のスタンドに、思わず目を背けたくなることが、時々ある。観客を集めるためには、もちろん、洗練されたプレーが基本。だが、その上に、ロッテのようなチア改革や、球場そのものの独自性でファンを引きつける手段もあるだろう。ゴールデンウイークが近い。野球を見る上に、その球場に行くだけで、イベントに接するだけで楽しい気持ちになれれば…。
新生「M☆Splash」のお披露目は5月3日からになる。開幕以来となる本拠地での楽天戦だ。その舞台に向けて、76人のメンバーはレッスンを重ねている。
April 26, 2005 03:02 PM
2005年04月25日
私、本気なんです!:中山知子
「私、本気なんですよ!」。田中真紀子衆院議員(61)が、腹の底からわき上がるドスの利いた声で叫んだ。福岡市で行った衆院福岡2区補選の街頭演説。
真紀子さんは「私は民主党の議員ではない」と断りながらも、自民党に代わって民主党に政権を取らせてみませんか、と熱く演説した。これまでも「政権交代が必要」「政界再編を目指している」と話したのを取材したことはあるが「本気」なんて熱い言葉を聞いたのは、初めてだ。
真紀子さんは初めての選挙は無所属で当選したが、その後自民党入り。秘書給与問題で議員辞職し、03年の総選挙では自民党を離党して無所属で戦い、返り咲いた。民主党の会派にいるといっても無所属で閣僚でもなく、メディアに登場する機会はめっきり減った。たまに国会内で記者に囲まれて話す時も、小泉政権批判のオンパレード。正直食傷気味だった。
今回の「本気」発言は、言葉こそ短いが1歩踏み込んだフレーズだった。真紀子さんを駆り立てたものは、多分「群衆」ではないだろうか。
2日間で4カ所の演説では、どこも数千人単位で人が集まり、車道にもあふれた。真紀子さんの話を聞くために、これだけ人が集まったのを見たのは、久しぶりだ。
真紀子さんはたくさんの人を前にした時「スイッチ」の入り方が違う。国内で記者に囲まれたり会見を開く時は、怒りを込めていても、整然と話す。でもいったん群衆の前に出ると、声色も形相も一変する。父の角栄元首相譲りのダミ声を、おなかの底から最大ボリュームでしぼり出すように叫ぶ。
真紀子さんは大学時代に劇団に所属し、女優を目指した、と自伝でつづっている。女優という商売は、大衆の視線を浴び注目されて、なんぼの世界。ひょっとすると、昔女優を目指した血が、多くの有権者(観客)を前にすると、騒ぎ出すのかもしれない。
「私は自民党だったけれどいじめられ、もうイヤと思って飛び出した。もう政党の時代じゃない。私は先を見越して無所属になった」「主権在民。政治を変えるのは政治家ではなく国民」。真紀子さんは真顔で話す。自民党という「数の集団」を、本意か不本意か、自ら離れた。その後は、1人でもがく状態が続く。真紀子さんと「一緒に動きを起こそう」大きなうねりは今のところ、ラブコールを送る民主党の中でもまだ起きていない。真紀子さんは自民党や小泉政権をたたきながら、敵と闘う自分を演出している段階だ。1人で闘うことの難しさは、肌で感じているはずだ。
ただ、自分の選挙区でもないのに多くの人が集まる現実を見た。街角で見せた「本気」発言は、他人に与える自分の「力」を、あらためて肌で感じ取ったからかもしれない。
April 25, 2005 11:56 AM
2005年04月24日
移籍は「自分のため」:盧載鎭
Jが開幕して6試合を消化した。開幕前、優勝候補に挙げられた浦和、磐田、G大阪などのチームが苦戦し、昨季低迷していた鹿島が快進撃を続けている。まだ34(試合)分の6が終わっただけだが、水面下では有力選手の獲得をめぐるし烈な争いが展開されている。また、成績を残せない監督は、解雇される時期でもある。
今のタイミングで、移籍市場に名を連ねている実力者は、日本代表DF宮本恒靖(28=G大阪)とMF藤田俊哉(33=磐田)だ。2人は実績、人格などあらゆる面で若手の見本になり、実力でも日本を代表する選手だが、それぞれのチーム事情、監督の好みなどで今季、レギュラーの座を奪われた。
移籍を恥じることはない。サッカーは野球と違って試合数が少ない。チャンスを与えてもらえないなら、出場機会をくれるチームに移籍するのは、サッカーの世界では当たり前のことなのだ。新天地で実績を残して自分を起用しなかった監督を見返してやればいい。いずれ訪れる直接対決の場で、自分を手放したチームを後悔させればいい。それは、ファンを裏切る行為ではない。
「チームのために自分の役割を黙々とこなし、出番を待つ」。日本人の感覚では、これがベストな選択かもしれない。でももう長嶋、王の時代ではないのだ。ミスター・マリノス井原は磐田を経て浦和で引退した。鹿島一筋だった秋田は現在、名古屋でプレーしている。ラモス、武田、北沢らと川崎(現東京V)の全盛期を築いたカズは、神戸のリーダーとなった。
今回、移籍市場に名前が挙がっている大物2人だが、移籍先選びで相当悩んでいると聞く。幸い、藤田は希望していた浦和が手を挙げてくれた。しかし現在、2クラブから誘われている宮本は、意中のクラブからは声が掛からない。待つべきか、それとも声を掛けてくれているチームに移籍すべきか。
宮本の移籍問題が長引くと、ジーコジャパンにも影響するのは必至だ。代表でDFラインの軸で主将を務める選手が、所属チームではスタメン出場できず、途中からボランチに入るようでは、当然試合勘は鈍る。ずぶとい神経ならともかく、周りに細心な気配りを忘れない優しい性格だけに、リーダーシップを発揮する前に、自ら悩んでしまうことも考えられる。
日本代表は6月3日にバーレーン、同8日に北朝鮮と、W杯出場のための大事なアウエー2連戦を控えている。アウエーのプレッシャーに加え、最終予選突破直前の目に見えない負担もある。またここへきてチームの軸となる欧州組の負傷、不調が目立つ。国内組からは不満の声も上がっている。チームをまとめる宮本には、今まで以上のプレッシャーがかかるはずだ。
宮本を使わないG大阪や西野監督を責めるわけにはいかない。必死で勝つためにベストを尽くしているのだから。日本のため、自分のため、宮本自身が決断する時期は目の前に迫っている。
April 24, 2005 11:56 AM
2005年04月23日
根性の人だった東山:松田秀彦
東山紀之(38)に対する見方が変わった。ジャニーズ事務所の人気グループ、少年隊のメンバー。デビュー以来、華やかな芸能界の真ん中に立ち続けている。印象深いのは、華麗なダンス。ステージを何度か見てきたが、技術の高さは、共演者と比べれば、素人の私にも明らかに違って見て取れた。日々の努力があることも想像できるが、プロスポーツ選手のように、持って生まれたセンスの良さ、素質があったのだろうと感じてしまう。しかし、事実は違ったようだ。
先日、東山は、ハワイ・ホノルルで行われたトライアスロンに出場した。初挑戦だった。テレビ番組の企画だったが、レース自体は正式なもの。器用で運動神経も抜群のイメージもあって「目標は完走」と繰り返す東山に対して、随分謙虚だなと感じた。
案の定、3時間11分の好タイムで完走した。「やっぱり」とも「さすが」とも思ったが、その過程は厳しかった。
まず、海で遠泳などしたこともない。おまけに、普段のトレーニングの成果で体脂肪率が6~7%と極端に低く、浮力が弱いというマイナス面を背負ってしまった。うまく泳がないと沈んでしまうのだ。レースでは1・5キロを泳ぐ。何度か同じ距離で試し泳ぎをしてみたが、泳ぎ切ることはレース前までついになかったという。失敗すればその模様もそのまま放送もされる。何でもこなしてしまうだろうという視聴者のイメージを裏切ることになる。そうしたリスクも抱えていた。
準備期間は、わずか1カ月半しかなかった。コーチを務めたシドニー五輪トライアスロン代表の福井英郎さんの指導で、徹底的に水泳に取り組んだ。
レース当日。短期間でも練習を積んだという事実を自分に言い聞かせ、スタートラインに立った。結果、ゆっくりとしたペースを守り、泳ぎ切った。
レース後の食事の席で、秘密を知った。
「実は、左右の足の長さが数センチ違うんですよ」。ジャニーズ事務所に入った当初、ダンスレッスンを受けても、なかなかうまくならない。足の長さの違いが微妙に影響して、バランスがとれなかった。ほかのメンバーが1回で覚えることも、反応できなかったという。「だからとにかく人の何倍も何倍も練習しなきゃいけなかった」。
素質どころか、最初はほかのメンバーに追いつけなかったのだ。今は「(事務所の後輩たちの)誰にも負けない自信は持ってます」と胸を張って言う。周囲をしのぐ技術の高さを身につけた東山の強さは、自分の弱さを「根性」で克服したことが原点だった。
前日は苦手の水泳に対して「正直怖いです」と不安も口にしていた。確かにそれも本音だっただろう。しかし、自分の歩んできた道を振り返れば、そうしたハンディを乗り越える自信は、絶対に持っていたはずだ。
「ピンチはチャンス」。東山の姿を見ていたら、よく聞く言葉が、実感をこもって響いてきた。
April 23, 2005 11:04 AM
2005年04月22日
偽警官?!だまされるな:鹿野芳博
「警察だ。止まりなさい」。道を歩いていて、突然後ろから呼び止められた。振り返ると、黒いジャンパーにジーパン姿の25歳くらいの男性が私を追いかけてきた。うさんくさい。明らかに警察官には見えなかった。私はとっさにこう思った。
「こいつはニセ警官だ」。
7日、私は公休日で東京の新橋駅から近くのパチンコ店に向かって歩いていた。午後5時すぎだった。
警察を名乗る者はおもむろに警察手帳? をチラッと見せた。それがまた怪しかった。テレビドラマでしか見たことがなかったが、それとは明らかに違った。「太陽にほえろ」や「西部警察」で見たものは縦長、横開きで、表に金色で「警察手帳」と書いてあった気がする。
彼が見せたものは縦長でそのまま縦に開くものだった。広げた上半面は顔写真付きの身分証明書で、反対の下半面が、金色の金物でできた大きなバッジだった。それはアメリカの西部劇に出てくる保安官が胸に付けてるようなものだ。
「間違いなく偽者だ」と確信し、無視を決めた。それでも彼は執拗(しつよう)に追いすがり、私の肩に手を添え「どこに行くのか?」と質問を繰り返した。
すると、もう1人の怪しい者が同じように警察手帳を広げ近寄ってきた。もう完全に怖くなり「人と会います」とだけ言い、歩くスピードを上げた。2人はそれ以上追ってこなかった。
周りにいた人々の視線が私に注がれているのを感じた。追う2人の男に、逃げる男。この光景はどう見ても私が不利だ。周囲の人には、怪しく映っているのだろう。パチンコ店をあえて1周し、角を曲がるたびに後からだれか付いて来ないか確認し、逃げるようにして店に入った。何も悪い事をしていないのに。
海外のニセ警官の話はよく聞く。海外出張のときに購入する「地球の歩き方」にも書いてある。どの国でもポリスと名乗り、所持品の検査と称して巧みにパスポートや財布を奪うという。無視して防ぐという対処も紹介されている。今回、それを実行したまでだ。
だが、ニセ警官のことがどうしても気になり、新橋交番に行って話を聞いた。ところが…。
新橋では犯罪が多発しているため、私服警官を複数配置し、防犯に努めているということだった。怪しいと思った警察手帳も実は本物らしい。交番の警察官も同じものを持ち、私にじっくり見せてくれた。「警察手帳を見せられたら、再度確認してください」ということだった。
新橋ではアジア系外国人の犯罪も多く「あなたの髪が少し茶色いし、外国人に見えたのではないかな?」と言われた。そういえば、私は花粉症で、あの時はマスクで顔を覆い、オレンジ色の派手なジャンパーを着ていた。
それでも、いきなりテレビと違う警察手帳を見せられても驚くよなあ。
皆さんも参考までに警察手帳はテレビと違うということを覚えていてください。そして、本物と偽者をきちんと見極め、だまされることはないよう自己防衛しましょう。
April 22, 2005 11:59 AM
2005年04月21日
慣例的な満場一致×:飯島智則
人生で最初に出席した会議は、小学校の学級会だろう。指導教師によって会の進め方は違うだろうが、私の経験では多数決による決定がほとんどだった。民主主義の基本的な方法。社会人になってからも、多数決、もしくはさまざまな意見を聞いた上で責任者が最終決断を下す。その2通りしか経験していない。
プロ野球界は、そのどちらでもない。球界の重要事項を決める実行委員会は、ほぼ例外なく「満場一致」で決まっている。一応、野球協約には多数決による決定方法が明記されている。第15条(議長と議決)に「議案の議決は出席委員数の3分の2以上の賛成を必要とする」(議案によっては4分の3以上)とある。しかし、基本的に挙手などによる採決は行われていない。
もちろん簡単に満場一致になるわけではない。議論の中で賛成、反対意見が出るので、挙手をせずとも大まかに賛成8球団、反対4球団などが分かる。そして最後には少数側が折れる形で「満場一致」となることが多い。ときには「うちが反対の立場を取ったという事実は議事録に残しておいてください」と付け加えて折れる球団もあるという。
極めて多数決に近い形の「満場一致」といえるが、あくまで採決はしない。なぜか。実行委員会で議長を務めるパ・リーグ小池唯夫会長(72)に聞いた。
小池会長「遺恨というか、しこりを残さないためなんですよ。12球団によって運営されるわけですから、全球団が納得して進めていった方がいい」。
しかし、今話し合っているドラフト改革などは、球団によって意見が180度違う。とても全会一致になるとは思えない。
小池会長「今はまだ色々な意見を戦わせる段階だから、そうなんでしょう。でも、時期が来ればまとまっていく。12球団で運営していく以上、しこりを残しても仕方がない。大人の対応をするでしょう」。
ドラフト改革では「共存共栄」か「競争」か、という理念の問題にも及んでいる。理念も妥協できるものなのか。
小池会長「『共存共栄』と『競争』はバランスですよ。どちらかでもいけない。そういう意味で、折衷案になるのではないでしょうか」。
この決定方法は、日本球界を象徴していると言ってもいい。球界は12球団で運営するものであり、すべての決定事項は12球団で決める。だから、皆が納得する形で進めていく。多数決よりも満場一致で。
昨年の再編騒動を機として、コミッショナーの権限を強くすべきという声が出ている。12球団を統括する役割として、もっとリーダーシップを発揮すべきという意見である。これは満場一致とは正反対の方法といってもいい。
「何を決めるか」と同時に「どうやって決めるか」も検証すべきだ。コミッショナーの権限を強化するならば、役割を明確に定めた上で、人選方法から検討する必要がある。現職者の権限だけ強化すれば解決するものでもない。
検討した上で、あくまで満場一致にこだわるならば、それもいい。何となく、これまで通り…は避けるべきだろう。
April 21, 2005 11:33 AM
2005年04月20日
回り道で見つけた物:高木一成
先週の皐月賞ではディープインパクトが快勝。3冠馬誕生の予感に競馬場が沸いた。その1週前には桜花賞、9日の福島競馬では夢の1000万円馬券も飛び出した。華やかな話題が満載の競馬サークルだが、もうひとつ、目立たないがうれしい勝利があった。
夢馬券の興奮も覚めやらぬ10日、福島競馬5Rで西田雄一郎騎手(30)がJRA騎手免許「再」取得後の初勝利を挙げた。同騎手は95年にデビューし、関東新人賞を獲得するなど順調に勝ち星を積み重ねていたが、マイカーで過度のスピード違反を犯し、99年に起訴された。責任を取る形で、デビューからわずか4年半で、自分の意思で騎手免許を返上。宮城県の山元トレーニングセンターで5年間、競走馬育成の仕事をしながら復帰の時を待った。そして今年3月、念願の騎手再デビューを果たした。
復帰から1カ月以上勝てなかった期間は、本人にとって相当長かったに違いない。常々「焦りはない」と話していたが、実際は知らず知らずのうちに気負いが生まれていた。そんな時、心に響いたのが坂井千明元騎手(54)の「気持ちが前に行き過ぎているぞ」という言葉。そのおかげで冷静に周りを見ながら乗れたことが勝利に結び付いた。
所属厩舎の境征勝調教師(59)からは、競馬成績よりも「西田が嫌いという人がいないような人間になれ」と指導されているが、親身になって声を掛けてくれる人がいたのは、西田騎手自身の明るく、誠実な性格もあったからだろう。翌週の美浦トレセンでは、会う人会う人に祝福された。みんなが5年間の頑張りを評価していた。
もっとも、免許返上になったのは、もともとは自分の気の緩みから。道路交通法違反を起こした過去は事実だけに、復帰勝利を単に美談として飾る気はない。ただ、政治家でも、芸能人でも、他のスポーツ選手でもそう。何かを問題を起こしたとき「本当に反省してんの?」「自粛、謹慎っていうけど、その間何してたの?」と疑問に感じることが多い中、西田騎手は外の世界を感じ、違った考えを吸収してきたことで、責任感を強くして帰ってきたように思う。
「騎手はリレーでいうアンカーだとあらためて分かった」。復帰後、何度もこのことを言っていた。「競馬は騎手がどうしても目立つが、生産者、育成者などレースまでに多くの人がかかわっている。その人を知らないにしても、牧場の人たちが喜ぶ顔や姿が想像できるようになった」。他の騎手も当然同じ思いはあるだろうが、牧場で実際につらい仕事をこなしたからこそ、バトンの重みを身に染みて感じられる。
人の思いを背負うことは大変だが、逆にそれを力にすることもできるはずだ。伸び盛りの若手でも乗り馬確保に苦労する時代。軌道に乗りかけてきたところでリタイアした「5年間」は騎手として大きな回り道だったかもしれない。だが、人間としてはより大きくなる貴重な経験だった。年が一つ違いで偉そうなことはいえないのだが、「騎手に戻るんだ」と頑張り続けた5年間の思いを、今後の勝利にどんどん結び付けてくれると期待したい。
April 20, 2005 11:57 AM
2005年04月19日
左ハイをプロレスで:横田和幸
ノドが渇けばジュースの1杯でも飲みたい。でもお金がない。財布を忘れたわけでなく本当にない。先輩から教えられた「麦茶に砂糖を入れて紅茶と思え」という生活の知恵を思い出した。欲求を満たすために、その若手プロレスラーは実行したという。彼の月給は家賃を除けば5万円。まさに極限の生活で、笑うに笑えない話だった。
K-1でも活躍している村浜武洋(30)が、5年間所属していた大阪プロレスを4月1日で退団した。冒頭の生活苦は、村浜でもなければ大阪プロの話ではない。ただ、プロレス業界全体が低迷しており、年収1000万円を超えているのは限られた団体の限られた選手だけ。かつて新日本のIWGPジュニア王座に挑戦し、ノアでも大暴れした村浜とはいえ、K-1出場は不定期で、プロレスが経済基盤だと、ファンに夢を与えられるような生活に達していないという。
悩んだ末の結論が、全国区への本格進出だ。大阪限定のインディーでは甘えが出てしまう。収入の限界も見える。だから、10日にはゼロワンMAXの東京・靖国神社相撲場の興行に視察目的で乗り込んだが、ジュニアの強豪・高岩竜一にケンカを売られ、スーツ姿の村浜が買ったことで、ゼロワンMAXという全国舞台が主戦場になるかもしれない。同団体が中心となって開催される5月のディファ杯への出場が早速決定した。
番記者とすれば、村浜には大阪で培った力でトップに君臨してもらいたい。いわば高校野球地方大会を勝ち抜き、甲子園でどれだけ通用するかという期待に近い感覚だ。
そんな村浜の送別会が先日行われ、2月に出場したK-1 WORLD MAX日本代表決定トーナメント以来、記者は2カ月ぶりに再会してきた。K-1では魔裟斗と同格に扱われた実力者だが、昨年に山本KID徳郁に完敗してからは株価急落。今回は1回戦HAYATO戦でミルコ顔負けの左ハイキックで復活KO勝利を飾った。
「(1回にダウンを奪われて、最終3回に)ハイキックで逆転勝ちって、一番盛り上がるパターン。いかにもプロレス的な勝ち方ができた。(準決勝での判定負けは)不完全燃焼ですが、1回戦の派手な勝ち方で観客の印象には残ったはずでしょう」。大会で得た賞金で、新婦とオーストラリアのケアンズに行き、コアラを抱いてきたという。
プロレスの環境は変化していくが、今後も生活の拠点は大阪に置く。早ければ5月から自主運営の格闘技教室を開催する。これは利益追求ではなく、技術や精神面を受講生に伝授していくのが目的。プロだから名誉やお金への欲がある一方で、純粋な格闘家の血がそうさせていく。
送別会の席では「ぜひプロレスのリングで、あのハイキックをしてほしいなぁ」と、個人的なリクエストを出しておいた。「考えておきますわ」とニヤっと笑っていた。もしかして、もしかすると近いうちに見られるかもしれない。
April 19, 2005 10:50 AM
2005年04月18日
“自己責任論”の矛盾:上野耕太郎
このコラムを東京ドームで書いている。15日、日本ハムと楽天の試合前だ。ちょうど1年前、起こった出来事を思い浮かべている。イラクで3人が拘束された人質事件だ。解放されたのは1年前の今日だった。
カメラマンの男性、ボランティアの女性、そして高校を卒業したばかりの少年がイラクで拘束された。自己責任論-。この言葉が盛んに取りざたされた。北海道で取材活動をしていた私にとっても大きな出来事だった。
拘束された18歳(当時)の少年、今井紀明君をその年の初めに取材した。札幌市の住宅街にある自宅に向かった。近くの地下鉄駅で待ち合わせした。好奇心の強い少年だった。部屋には無数に並んだ本があった。今井君は劣化ウラン弾の被害を訴えるため、NPO法人を立ち上げていた。18歳にして代表を務めていた。熱っぽく一生懸命、素人の私に説明してくれた。「頭だけで考えていても駄目だと思うんです。実際にイラクに行って、その状況を知らないと人には伝わらない」。今井君はそう言っていた。
そのときのことだ。自室で取材した後、居間で祖母と母親とともにお茶をいただいた。バウムクーヘンがお茶菓子だった。母親と話すときの今井君は普通の少年の顔に戻っていた。母直子さんは今井君の活動について私に言った。「心配なんです。でも、本人も今、何かをすることが大切と思っているんです」。
北海道は当時、世論が割れた。イラク派遣の第1陣は旭川を中心とした部隊に決まっていた。反対運動も盛んに行われていた。イラクに派遣される方も、反対する側も北海道が拠点だった。そして事件は起きた。
4月8日、イラクで日本人が拘束されたニュースが流れる。当初、名前は特定されず、午後8時45分すぎだったと思う。NHKが人質の映像を流した。正直、目まいがした。少年がテレビの中にいた。パスポートが写され、名前を画面で確認した。血の気が引いた。
それからの1週間、テレビの臨時ニュースの音が聞こえるたびにビクッとした。自己責任論という論調が大きくなっていた。被害者の家族たちの対応がその声を強くさせたともいわれる。ネットでの中傷も勢いを増した。
そのときに思った。1度しか会っていない私でさえ、動揺した。家族に冷静さを保てというのは非常に難しいことだと思った。ましてや自衛隊の派遣が絡む日本にとってナーバスな問題だった。嫌悪感を覚えた人たちは家族のむき出しの感情をターゲットにしていった。
取材をした。そして思った。反対する声の中で自衛隊員は飛び立った。命懸けの決意だった。それは不幸だ。それに反対する人間もイラクに向かった。今井君も今、英国にいる。曇天の空から何を思うのだろうか。安全なところから簡単な言葉でそれぞれを批判した。我々もだ。私が最も間違っていたと思うのは国民のコンセンサスを取れなかったこと。自己責任論という言葉を用いてもいいが、肌触りが違う。ドラマではないんだと思う。現実は。
April 18, 2005 10:33 AM
2005年04月17日
女子プロは消えない:永井孝昌
4月10日、後楽園ホール。
リングで戦っていたのは、長与千種と里村明衣子だった。プロレス界では極めて珍しい、解散を事前発表して開催した女子プロレス団体GAEAジャパン最後の興行は超満員。そのメーンで、長与は自ら育てた1期生、里村を相手に引退試合に臨んでいた。
いい試合だった。いや、強烈に見る者のプロレス頭を刺激する試合だった。
試合中に古傷左ヒザのサポーターを外し、なお蹴られても立ち続ける長与。よろけながらも、倒れることだけは拒み続ける。試合後「受け身を取れば楽な試合もあるけど、体ひとつでどこまでやれるか、と。意地もプライドも、リングに立っていることに凝縮したかった」と自らナゾを解いたが、まさにその通りの試合。12分33秒、力尽きた長与に里村が覆いかぶさったのは、この試合最初で最後のカバー。和田京平レフェリーが初めてたたいたカウントが3つ入ったのは、必然だった。同時に長与千種20余年のプロレスキャリア最後の753秒は、大技乱舞の女子プロ界に身をもって鳴らそうとした警鐘だったのでは、と受け止めた。
今、女子プロ界は存亡の危機といっていい過去最大の転換期を迎えている。90年代、東京ドームにまで進出した対抗戦時代の一大ブームは、ファンにさらなる刺激を求めさせ、いつしか業界をどんな薬を投与しても効かない体質にまで衰弱させていった。対抗戦という刺激は、宝塚的、と形容できた女子プロの世界観に男性ファンを招き込み、結果、独自性を失っていった。キャリアあるフリー選手の増加と新人の伸び悩みは新陳代謝を妨げ、価値観の細分化につながった団体の乱立は業界全体をアンダーグラウンド化させた。旗揚げから10年、解散を決断したGAEA木村社長の「これ以上、女子プロレスを悪いイメージにしたくない」という言葉には、10年分の葛藤がにじんだ。
長与千種は、ある意味で女子プロ最後の成功者だった。80年代のクラッシュギャルズ全盛期には給料袋が縦に立ったというし、当時の全日本女子のグッズ売り場では、商品を入れてきた段ボール箱にあふれる札束を踏み付けて押し込んでいたと聞く。だが、その老舗団体全日本女子も、明日17日の後楽園大会が37年の歴史のラストマッチとなる可能性が高い。4月10日から17日の、今現在進行中の1週間は女子プロレスというジャンルから一気に二つの団体が消えるかもしれない、前代未聞の事態にある。
では、女子プロの火は消えるのか。その疑問に、長与はこう答えた。「なくさないよ、女子プロレス。そうしないとやってきた歴史がなくなっちゃう」。この言葉が多分、プロレスに愛された長与、現役最後のナゾかけ。引退試合の相手に選んだのが、女子プロレスの存在を知らず「私が日本初の女子レスラーになる」と息巻いて上京した里村だった、というのも意味深に思えてくる。「女子プロレスは終わった」と言うのは簡単。だが素直に言えないのは、未来のないジャンルに体を張ってまでメッセージを残すほど長与千種のプロレス頭は甘くない、という思いが頭の片隅にあるからだろうか。
April 17, 2005 11:44 AM
2005年04月16日
理想のドラフトとは:栗原弘明
本当に、プロ1勝までの道のりは長かった。9日の巨人-中日戦。巨人内海哲也投手(22)は6回1失点で降板した後、ベンチで試合を見守った。投手陣が迎えるピンチに乾いた唇をなめたり、思わず下を向いたり…。落ち着かない心中が、ダイレクトにこちらにも伝わった。その様子がプロ2年目とはいえ、初々しくもあった。2点差に追い上げられたものの、何とかチームは内海を勝利投手にした。「長かった」。インタビューで漏れた言葉には、最初のドラフトから過ぎた約4年半の年月の重みがあった。潤んだ目に、私にも感慨深いものがあった。
00年12月5日。私は福井県敦賀市内のトンカツ店にいた。その中の一室で、内海は東京ガスの当時の仲沢伸一監督のあいさつを受けていた。同年11月17日のドラフト会議で敦賀気比の高校球界屈指の左腕は、オリックスから1位指名を受けた。「ちっちゃいころから見てきたし、物心ついた時から巨人ファン。そんなところでやってみたい」という思いで、指名を拒否した。巨人入りを熱望しての指名拒否。世間の一部からはバッシングもあった。
プロで初勝利を待つ様子もそうだが、内海の表情はうそをつけない。東京ガス入りを決意したトンカツ店では、顔色はさえなかった。あえて「巨人」の2文字は口にしなかった。社会人の強豪へ進むホッとした気持ちと、ドラフトの騒動から周囲への遠慮もあったのだろう。「1日も早く野球をやりたい」。18歳のその姿に、痛々しさを感じた。
社会人での3年間。内海から、同じ言葉を聞き続けた。
僕の気持ちは、変わりませんよ。絶対に。
自分に言い聞かせるように、練習に打ち込んだ。東京ガスでも故障に苦しんだり順風満帆にいったわけではない。それを、巨人入りという強固な目標が支えていた。1日、1日と表情が明るく変わるのが手に取るように分かった。「優遇されてますが、会社の仕事もどんどんやりたい」。妥協を許さぬ練習を課した石井章夫監督のもと、社会人としても成長した。
そして、自分の意志を貫いての巨人入り。巨人OBの祖父・五十雄さん(故人)と同じ26番を背中につけて、ようやくつかんだ1勝は、プロとしての第1歩に過ぎない。
内海の表情を見ながら、ふとドラフト制度改革について思いが及んだ。プロ野球の構造改革協議会は、ドラフト改革も討議する。理想のドラフトとは何か。個人的には、戦力均衡を目的とした完全ウエーバーが理想ではないか、と考えてきた。だが自分の働きたい球団に入れない。内海のような選手の願いがかなわない、ということになる。それは、選手の職業選択の自由を制限する可能性もある。ならば、FA取得の期間の改正とセットにして考える必要もある。メジャーへの人材流出の問題もでてくる。球団、選手、ファン。協議会の現場レベルで様々な意見を吸い上げているが、調査し過ぎるということ、議論し過ぎるということはない。
April 16, 2005 11:25 AM
2005年04月15日
おとぎの世界消えた:中山知子
英国のチャールズ皇太子(56)が、35年間も関係を続けてきたカミラさん(57)と結婚式を挙げ、ついに正式の夫婦になった。
結婚式の様子を取材するため、英国ウィンザーに行った。なにはともあれ、ロイヤルウエディングではないか。
挙式会場の「ギルドホール」は、17世紀に建てられた。皇太子が故ダイアナ元妃と挙式したセントポール大聖堂と同じ設計者だと聞いた。赤と白のレンガにギリシャ彫刻風の飾りが埋め込まれた建物は歴史を感じさせるが、普通は一般市民が集う公会だ。白い階段はペンキがはがれ、歩くときしむ。職員がベンジンで壁のプレートを磨いていたが、布はかなり汚れていた。
一般市民が使うには何の支障もないのだろうが、ここで未来の国王といわれる人が結婚式…? お互い離婚経験者ということで英国国教会の一部から反対の声もあり、ウィンザー城の教会から場所を変えたのだが、よく言えば極めて質素。率直に言えば「格落ち」に見えた。
近くの書店では、皇太子の再婚記念に出版されたばかりの本が、早くも9ポンド(約1870円)から3ポンド(約620円)引き。逆に当初の日取りの「4月8日」が入った4・99ポンドのタオルが「インターネットで10倍の48ポンドで売られているわよ」と、土産店の店員は言った。なんか、夢のない話だなあ。
さて、式当日。皇太子とカミラさんが会場入りする前、他の王族やカミラさんの親族がまず公会堂に着く段取り。次々と王室の車が到着し、ウィリアム王子やヘンリー王子、王族メンバーが降り立って、手を振って…と華やかな場面を勝手に想像していたら、2台の白いマイクロバスが到着。王子たちはその1台から、互いにじゃれ合いながら降りてきた。結婚式前の厳かな雰囲気はない。もう1台にはカミラさんの家族。「親族ご一行さま」の状態で、ゾロゾロと歩いて行った。王族がまるごとバスに乗ってくるなんて…緊張感がまるでなかった。
25分かけるといわれた式も、実際は誓いの言葉を読む手続きだけで、15分で終わった。終了後、建物を出てきた皇太子とカミラさんは、腕を組んで立ち止まって報道陣や観衆に手を振ったが、すぐ車に向かって歩き出した。お気に入りのデザイナーに作らせた純白のワンピースにジャケット、帽子で決めたカミラさんの方が、少し立ち止まってから車に乗り込んだ。もう少しフラッシュを浴びていたかったのだろう。
81年に行われた皇太子とダイアナ元妃との結婚式は、テレビ中継で見た。当時中学生だった。元妃のふわっとしたウエディングドレスや、赤いじゅうたんを引きずる長いベールに、こんな夢のような世界が現実にもあるんだなあと思った。
あれから24年、かつて英王室にあった「おとぎ話」のイメージは、すっかり消えた。目の前のロイヤルウエディングは、現実の世界の中で、夢のかけらもなかった。
April 15, 2005 10:39 AM
2005年04月14日
偏見はないですか?:盧載鎭
中国各地で反日デモが勃発(ぼっぱつ)した。その被害は、日本大使館や大使公邸などの政府機関だけにとどまらず、留学生や日本料理店、日系デパートなど一般人にまで及んでいる。許されないことだ。ただ、この騒動だけで、中国の人々全体が日本を敵対視しているというわけではない、ということも、冷静に考えておく必要があると思う。
もちろん、父親の転勤で現地に住んでいるような家族や、中国4000年の歴史を学ぼうとして留学している若者に危害を加えるのは許せない。日本の歴史的な背景を問題視するというのなら、中国だって昔は韓国を何度も侵略している。中国の教科書に、韓国侵略の歴史が詳しく書いてあるわけではない。
デモをやめろとは言わない。しかし罪のない人々を巻き込むのは許されない。その結果として、日本で暮らす中国人留学生や在日中国人が肩身の狭い思いをすることを、彼らは分かっているのだろうか。また、一方では、留学生や日本に滞在する外国人に肩身の狭い思いをさせる可能性のある今の日本の社会というものが望ましいものだろうか、そのことも、じっくり考えてみる必要もある。
中国で開催された昨夏のアジア杯で、ジーコジャパンは、中国人で埋まったスタンドから揶揄(やゆ)と罵声(ばせい)を浴びせられた。ものも投げられた。当時、日本代表を取材した僕は「中国人は日本人が嫌いなんだな」と思った。政治とスポーツは別といっても、実際、人々の感情は簡単にコントロールできるものではない。
大会が終わって、韓国サッカー協会幹部と話す機会があった。同杯に出場した韓国代表も日本と同じように、毎試合をアウエー状態で戦ったと聞いた。
となると、自分の中での結論は「弱いチームを応援しただけかも」と変わった。歴史上で中国人が韓国人を嫌う理由はないからだ。また、スタジアム以外では、日本の選手団、報道陣はまったく嫌がらせを受けていなかった。
世界を見て、隣国同士が友好的に緊密な関係を維持している場合もあるが、そうでない例も少なくはない。交流する機会が多い分、トラブルが起きる可能性も高くなる。国籍に関係ない、人と人の間のトラブルだってある。
しかし、こうしたときにも「○○人が○○人とトラブルを起こした」となる場合もある。我々が気付かぬ間に、政治的に利用されるケースもある。
今回の暴力事件は黙認されてはいけないと思う。
それを前提にこの機会に考えたい。
あなたに偏見はありませんか。肌の色や言葉が違うだけで思わず身を構えた経験はありませんか。僕はあります。日本の生活に慣れるにつれ、だんだんそうなっていく自分も感じています。外ではなるべく自分の子供に日本語で話し掛けます。変な目で見られるのが怖いからです。
人に危害を加えたり、ものを壊すだけが暴力ではない、ということも考えておくことが必要だと思う。
April 14, 2005 10:32 AM
2005年04月13日
本物 サンボマスター:松田秀彦
東京・渋谷。まだ肌寒かった5日夜。駅前のスクランブル交差点を走り抜け、NHK方面へ抜ける公園通りの上り坂を駆け上がった。息が上がってきた。額から汗も流れてきた。鼻水も垂れてきた。女子高校生グループと擦れ違った。夜の渋谷をグレーのスーツ姿でダッシュする30歳過ぎのオッサンは、彼女たちの目にどんな風に映ったか。なんてことも気にせず、坂を上りきった。右手奥にライブハウス「渋谷AX」が見えた。開演時間を過ぎた午後7時10分。汗ばんだ背中にシャツがくっついてきた。
チケットを受け取った。座って見ることができる2階席。チケットはポケットにしまった。迷わず1階の扉を開けた。フロアはオールスタンディング(立ち見)。熱気を感じるためには、関係者で埋まった2階席から見下ろしても分からない。フロアは人で埋め尽くされていた。ステージは20メートルほど先だった。お笑いコンビ、キャイ~ンの天野ひろゆき似の男が、バタヤンこと田端義夫のように胸元にギターを抱え込み、叫んでいた。
「あなたがたのおかげで、僕はロックができるわけですよ~っ!」。
人気上昇中のロックバンド、サンボマスターのステージに初めて出会った瞬間だった。
2月のある日。「1度見てください。何か感じると思います」。レコード会社の関係者の言葉が気になっていた。会場へ向かう時、自然と駆け足になっていた。
サンボマスターは、3人編成のロックバンド。ボーカル兼ギターの山口隆(29)は「クラスで一番キモイあいつ」のキャッチコピーでデビューしたこともうなずけるほど、外見はオタク系。背も高くなく小太りでメガネ。それでも山口は言う。
「革ジャン着てイエ~イっていうロックスターはウソくさい。普通の人間が発狂してしまうという基本がないと説得力がないんです」。
その言葉通り、ステージは激く、サウンドはハードなロック。ギター演奏も発狂寸前と思えるほどの暴れっぷりだ。生きることのもどかしさや素晴らしさ、喜びや悩みを、英語表現に頼らず、日本語でストレートに伝え、無常観さえ歌う。
その人間くささは、山口自身が影響を認めているように、かつてのフォークソングを連想させる。生きることに不器用そうな男が、虚飾なく懸命に愛を叫びまくる。怒りや衝動を、今すぐ吐き出さなきゃダメなんだと言わんばかりの強引さで歌う。
若者に混じり、同世代の男性もあちこちに見えた。音楽評論家の田家秀樹氏はサンボマスターを「未来に希望の持てない時代に生きる若者に手を差し伸べる救いの存在」と言った。救いを求めているのは、どうやら若者だけではなかったようだ。観客はみな、ステージに向かって必死に手を伸ばした。もっとオレの代わりに叫んでくれと訴えているようだった。ルックスに頼らない本物感。山口が言う「ウソ臭さ」はない。あこがれとは違う、自分の分身のように感じることができるのだろう。スーツに染みこんできた汗は途中から気にならなくなった。
April 13, 2005 11:21 AM
2005年04月12日
東北球春 新鮮な1歩:鹿野芳博
桜前線より一足お先に、東北の球春が開花した。仙台に生まれたプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスが本拠地フルキャストスタジアム宮城で、西武との地元開幕戦を行った。それは今までのプロ野球とは違った、新鮮で、地方色豊かなオリジナルなものだった。
スタンドはチームカラーのクリムゾンレッド(えんじ色)一色に染まっていた。観客1万7236人が配布されたポンチョを着て、試合前から熱烈な声援を送っている。応援に慣れていないのか、ちょっとちぐはぐな手拍子。購入したばかりのVメガホンをたたく音が鳴り響いた。
「かっとばせー、イソベっ」。高校野球の応援のような掛け声が聞こえてきた。このスタジアムでは鳴り物のトランペットと笛が禁止されている。球場から約700メートル離れた国立病院機構仙台医療センターや球場周辺の住宅に配慮し、球団が取り決めた。
ホーム側のレフトスタンドでは、唯一の私設応援団「関東荒鷲会」が太鼓1つで奮闘していた。そこにはプロ野球の外野スタンドで騒々しく繰り広げられる、選手個人の応援歌の大合唱はなかった。
スタジアムには打球音がこだまし、球がキャッチャーミットに収まる音も感じることができた。臨場感はちょっと大げさかもしれないが、さながら米大リーグの雰囲気を感じさせた。
試合中、内野カメラマン席からセンターを見ると、バックスクリーン後方の大きなアパートから住人が試合を観戦しているのが見受けられた。試合開始の気温が6・8度という真冬なみの寒さの中、部屋でのテレビ中継にもの足りず、歴史的一戦を生で観戦していた。イニングごとに観戦する人は代わっていったが、数人の住人が最後まで試合を見届けていた。
試合は楽天が快勝した。試合後、三木谷浩史オーナー、田尾監督、礒部公一外野手、岩隈久志投手がグラウンドを1周し、観客と喜びを分かち合った。球場の興奮は最高潮に達した。
お祭りムードが一段落し、観客がいなくなったスタジアムでゴミがほとんど落ちていないのに驚いた。ファンは、一般ゴミ、ペットボトル、カンびんの3つに分別された球場のごみ箱にきちんと捨てていった。
回収をサポートするボランティアスタッフは「ビールの紙コップはそのまま捨てるとごみ箱に約100個しか入らないけど、ごみ箱からいったん出して、1個1個をきちんと重ねていくと、約700個は入るんです」と教えてくれた。なかなか面白いアイデアと感心した。
昨年まで仙台には年間1試合ほどしか、プロ野球が来なかった。今年は仙台だけで公式戦が63試合あり、同じ東北地方でも5試合開催される。
仙台で乗ったタクシーの運転手さんが言った。「今年は仕事を休まないでプロ野球観戦ができるんですよ」。臨場感あふれ、活気に沸くフルキャストスタジアム宮城。ファンと選手が一体になった1歩を踏みだしている。
April 12, 2005 11:29 AM
2005年04月11日
試練の道選んだ「侍」:飯島智則
ナショナルズ大家友和投手(29)を見ると、いつもハンバーガーを思い出す。マイナー時代の話を聞いたことがある。
まだ米国に慣れぬころ、試合後にバスに乗った。周囲の選手はピザなどの食事を用意しており、バスの中で食べていた。大家は用意していなかった。遠征先に到着してから夕食にするつもりだった。しかし道のりは長い。遠征先に着くと深夜になっていた。ホテルのレストランは閉店していた。
空腹に耐えられず、ホテルの周囲を見渡すとマクドナルドがあった。駆け付けてみると、時間が遅いため安全上の問題からドライブスルーのみの営業。仕方がなく車の後に並んだ。前の車が進むと、大家は歩いて進んだ。周囲の好奇な目にさらされながらハンバーガーを買い、空腹を満たした。そうやってメジャーに上がってきた。彼のマイナー生活の、ほんの一部でしかない話。しかし、彼の投手としての、人間としての強さを支える一因になっているだろう。
カージナルス田口壮外野手(35)は何度もマイナー降格を経験した。開幕試合の5時間前にマイナー通告という悪夢もあった。チームに貢献する活躍をしても、なかなか恵まれた起用をされなかった。メジャー本拠地のセントルイスと3A本拠地のメンフィスの移動を繰り返した。
昨年はメジャーでチームのリーグ優勝に貢献する活躍を見せ、ワールドシリーズの第1戦にスタメン出場した。スタンドにいた恵美子夫人の言葉。「ここまで連れてきてもらって本当に感謝しています。主人が、よくここまで我慢してくれたと思う」。我慢。漢字でほんの2文字の言葉に、一体どれだけの思いが込められているのだろうか。
この試合、投手へボテボテの内野安打を放った田口は「自分らしい安打だったかな」と笑っていた。スマートではない安打を、この舞台にたどり着くまでの道のりに当てはめていたのだろう。その笑顔を見ていたら、何と格好のいい男だろうと思った。
メジャー挑戦の先駆者、デビルレイズ野茂英雄投手(36)は解雇やマイナーを経験しながら6球団を渡り歩き、なおもメジャーで戦っている。決してマリナーズ・イチロー、ヤンキース松井の活躍だけが、大リーグではない。
日本球界を旅立ったスター選手、中村紀洋内野手(31)は今、ドジャース傘下の3Aラスベガスにいる。マイナー行きが決まった日、中村は「代理人に任せて、オファーがあれば考えたい」と、移籍を示唆した。日本球界への復帰も否定しなかった。
だが、翌日になってマイナー行きを了承した。迷う一夜だっただろう。それでも「4月中にメジャー昇格?
そらそうでしょ。すぐにでもレギュラーを取ったろか」と、強気なセリフを口にした。7日の開幕戦では三塁強襲の2点適時打。第2戦でも初本塁打など3安打の活躍を見せた。「打たないと上に上がれませんから」。試練の道が、栄光につながると信じて戦っている。
中村のバットやグラブには「侍」という文字が書いてある。彼がメジャーに上がるとき、どんな「サムライ」に変ぼうしているだろうか。
April 11, 2005 12:48 PM
2005年04月10日
1口馬主=「夢」購入:高木一成
馬主になりたいと思ったことはありますか?
「いやいや、そんな大金は持ってないよ」。仮に馬に興味があっても、そう敬遠する人が多いと思う。
何年か前に松嶋菜々子が主演していた「やまとなでしこ」というドラマでも、彼女扮(ふん)するスチュワーデス(今はCAっていうんだっけ?)が、馬主バッジを着けている堤真一を見て、大金持ちだと思い込むシーンがあった。まあ、一般的には馬主=大金持ちというのが、世間のイメージだということだろう。
実際、中央競馬の個人馬主資格を取得するのは簡単ではない。前年度および前々年度分の所得(収入ではなく諸控除後の申告所得)が1800万円以上であること、および個人名義の不動産・有価証券・預貯金などの資産の合計が時価で9000万円以上であること、が条件になる。
「ダービー馬のオーナーになるのは、一国の宰相になるよりも難しい」。英国のチャーチル首相が残した言葉は有名だが、今の不景気な世の中、ダービー馬以前に競走馬のオーナーになること自体が難しい、と思われている。
だが、そこまで大金を出さなくても、オーナーに近い立場になることはできる。クラブ法人の会員になる方法だ。クラブ法人とは、1頭の馬を40~数百口に分けて、会員に出資を募るJRAの法人馬主。俗に「1口馬主」と呼ばれる会員は、出資した馬がレースで稼いだ賞金を配当として受け取れる。詳しい説明は省くが、この仕組みに「商品ファンド法」が関係しているように、気に入った馬に「投資」する株のようなイメージともいえる(ちなみに50%以上の買い占めなど、ホリエモンみたいなことはできません)。
明日はクラシック第1弾の桜花賞が行われるが、出走18頭のうち、実に7頭がクラブ法人の馬だ。デビューから3連勝中で注目を集めるキャロットクラブのシーザリオという馬は、募集価格が1400万円だった。口数は400口。普通のサラリーマンが1人で買うには無理のある額だが、1口なら馬の価格は3万5000円。ほかにカイバ代などの諸経費はかかるが、手が出る範囲内だろう。
自分の愛馬が勝ったときに、ウイナーズサークルで愛馬と関係者と記念撮影する快感は何物にも替え難いという。桜花賞に3頭出しする有力クラブ・サンデーサラブレッドクラブで、美浦トレセン所属馬の取材を担当している堤雄大氏(31)は「デビューまでのワクワク感や、競馬場で走った結果に一喜一憂するのは、馬主さんでもクラブの会員さんでも同じでしょう。個人で1頭すべて持つよりも当然リスクは少ないから、気軽に馬主気分を味わうことができる」とクラブ会員の魅力を語る。
もちろん出資した馬が必ず走るという保証はない。デビューできなかったり、成績が伴わず黒字収支にならない馬も何頭もいる。ただ、それでも「夢」を買うと考えれば決して高い買い物にはならないと思う。一方で、寡占化が進む個人馬主をもっと保護すべきとも思うが、一般の方にも馬券だけでなくこんな競馬の楽しみ方もあることをぜひ知っていてもらいたい。
April 10, 2005 10:51 AM
2005年04月09日
信長の子孫は大らか:横田和幸
新年度が始まり、関大(大阪・吹田市)の入学式を取材してきた。歌手の矢井田瞳、落語家桂三枝を輩出した有名大に、今春は約8000人の新入生が誕生した。その中に、フィギュアスケート世界ジュニア選手権(3月・カナダ)で優勝した織田信成(18)がいた。
戦国武将・織田信長から17代目にあたる子孫で、トリノ五輪の有力候補になったことで、世間の注目度は一気に上がった。信長は天下統一を目前にした1582年、京都・本能寺で明智光秀の謀反によって命を落とした。自分の先祖が歴史上の人物ってどんな感覚なのか。今回ばかりは俗っぽい好奇心に襲われた。
幸運にもこの1週間、彼に密着できた。大学内でのイベントで語った内容を含めて、興味ある質疑応答を紙上再現した。
初めて信長の子孫と知ったのはいつ?
「(大阪・高槻市立郡家)小6の時に、親から知らされました。その直後の社会のテストで戦国時代の問題が出て、僕は満点でした。(高槻市立第二)中学の時は、日本史で戦国時代の授業になると先生が丁寧に教えてくれました」。
信長は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と言ったが、あなたは?
「僕は殺しはしないけど、うーん…鳴くか鳴かないかは、あんまりどうでもいい(苦笑い)。ちなみに『信長の野望』(テレビゲーム)はやったことはないです。先祖といっても、人ごとみたいですね」。
大学での目標は?
「友達1000人つくること。ショートカットの彼女募集中。安藤美姫? 友人ですね(大笑い)」。
これらの受け答えで、彼がごく普通の18歳と分かった。座右の銘は「ダラダラ頑張る、です。一生懸命に頑張りすぎても、やる気がなさすぎてもダメ。マイペースという意味です」。スーツのスソからのぞく緑色の靴下はユニクロで買ったという。信長の子孫で、お堅い先入観は消えた。
母でコーチの憲子さん(57)の話も紹介したい。織田の父で16代目にあたる信義さん(62)と結婚して1度、大失敗したという。信義さんの実家に仏花を届けた際、本能寺の変で戦った明智家の花・桔梗(ききょう)を交ぜてしまった。織田家に嫁いだという意味を強く感じたという。信成という選手が天真らんまんなキャラであるだけに、ご両親の子育てに対しての気苦労がうかがえてならない。
トリノ五輪男子の出場枠は1と超難関。今後は成功率4割という4回転ジャンプ習得にも果敢に挑戦していく。大阪・阿武野高時代はオダリンと呼ばれていたとか。女の話題はミキティに、男子はオダリンとフィギュア界はにぎやかだ。今回の取材で、日本史の参考書を開いてみた。描かれた信長の似顔絵を見て、ふと気付いた。4世紀の時を隔てても信成の鼻は、ご先祖様とそっくりだった。楽市楽座に検地と、信長が施した歴史用語まで再び勉強できるとは。春から少し得した気分になった。
April 9, 2005 11:11 AM
2005年04月08日
オラがスター育成を:上野耕太郎
プロ野球が開幕し、一足早くJリーグもスタートを切っている。私が住む北海道には日本ハムとコンサドーレ札幌がある。「プロ不毛地帯」と呼ばれた10年前から比べると夢のような話だ。この2チーム、実は日本で唯一という共通点がある。そう、札幌ドームをともに本拠地としているところだ。
土日にユニホームを着て家族で応援にきている姿を見る。「新庄がさぁ」なんて小学校低学年の子供と父親が話をしているのをみると定着してきた気がする。スポーツが身近にあることは楽しい。忘れかけていたものを再確認した。北海道にプロチームってぜいたくかもしれないが、もう1つ、わがままだけど思ってしまう。2チームのコラボだ。
先日、ある会合でパネリストとして日本ハムの大社会長とコンサドーレの石水会長が参加した。そこで、一番興味深かったのは子供たちの育成の話だった。確かに日本ハム本社はセレッソ大阪に資本を投下している。難しい問題はあると思う。少しずつ協力し合って子供たちの運動をする環境をつくってほしいと思った。実は両球団事務所は、札幌ドームに隣接するビルに「同居」している。2人の会長が「そういったことが大事だ」と口をそろえていたことに期待してしまう。
プロ野球、サッカー、さらにはウインタースポーツが連動したクラブ組織ができたら、と本当に思う。
自分の子供を塾に通わせるようにクラブに入って、いろいろなスポーツの適性を見てもらう。育成やけがもケアするような組織があれば、なおいい。日本ハム球団関係者が言っていた。
「プロ野球って選手はもちろんプロだけど、教える人やトレーナーもプロなんです。成長期のトレーニングメニューもその子にあったものをつくる。アイシングなどのセットも貸してあげればいい。それがどれだけ野球を上達させ、長く続けられるか…」。
少子化で社会は変わってくると思う。公園でキャッチボールができないところが増えてきた。学校でのクラブ活動を避ける生徒も多い。それ以上に指導者のなり手がいない。「今の先生って、部活動を持ちたくないんだよ。休日がないからね。この前も若い先生に頼んでみたけど『自分の時間が大切』って断られたよ」。小学校時代に野球を教えてもらった恩師は寂しそうに言った。
ファンサービス-。球界再編問題以降、何かと聞く言葉だ。プロ選手がサインやイベントをすることで身近に感じられるようになれば確かにいい。でも、本当にファンの拡大になるのかな。日本ハムもコンサドーレ札幌も元選手が北海道の各市町村を回り指導している。地道な活動だ。ただ、元プロ選手からかけられた一言はどんなものにもまして宝物だろう。
じゃあ、日本ハムさん、コンサドーレさん子供たちをよろしく、では駄目。スポーツを報道している立場の者としても少なからず考え、努力するべき問題だと思う。みんなが知恵を出し、育成した子供たちの中から、素晴らしい選手が生まれたら…。これが本当の「オラが町」のスターなんだろうな。
April 8, 2005 11:03 AM
2005年04月07日
興奮戻った05年F1:永井孝昌
あらためて、バーレーン戦は激しい試合だった。あちこちで繰り広げられるツバぜり合い、互いの戦略を読みながらの攻防、格上チームの大苦戦…と、ここ数年、味わえなかった興奮が戻ってきた気がする。
ややこしい書き出しだったかもしれないが、バーレーン戦、といっても3日のF1バーレーンGPの話。55年の歴史で初めてレースカレンダーが19戦になった今年のF1は、開幕から3戦を終えたばかりとはいえ「サーキットにレースが戻ってきた!」という喜びを抑えきれない。
15年前の90年10月、鈴鹿GPで年間王者を争っていたセナとプロストがスタート直後の第1コーナーでもつれ合いながら砂煙に消えていった時からのF1ファン。92年モナコでのセナ、マンセルの激しい接近戦に深夜1人で手に汗握り、セナの母国GP初優勝の嗚咽(おえつ)に涙した。時には「あんなのスポーツじゃない」「ぐるぐる走ってるだけの車を見て何が楽しい」という周囲の声もあったが、10分の1キロの軽量化に多額の資金を注ぎ、100分の1キロでも速く走るため24時間絶え間なく風洞実験を繰り返し、1000分の1秒縮めるために身を削る、そんな「刹那(せつな)」の魅力に変わることなくとりつかれてきた。
それでも最近4、5年は、赤い跳ね馬と天才ドイツ人ドライバーの圧倒的な強さにやや、退屈していたのも事実。しかもピット戦略で順位が入れ替わる「戦いなきF1」は、観戦への情熱をそいだ。
だが、今年は違う。その善しあしは別として、今季は劇的ともいえる大幅なレギュレーション変更が実施された。予選システムも変更。エンジンも1台につき2レース1基に規制。タイヤの本数も制限され、レース中のピットでのタイヤ交換作業風景も消えた。
結果、マレーシアGPでは常勝フェラーリが今季ジャガーを買収した新規参入チームのレッドブルに立て続けにパスされる跳ね馬ファン衝撃のシーンが現出。バーレーンでは絶対王者シューマッハーがギアボックストラブル。後続にレコードラインを開け、砂塵(さじん)に沈んでいった緊急投入の新マシンF2005は、屈辱に砂を噛(か)んでいるように見えた。世界200カ国以上で、延べ600億近い人がテレビで観戦するF1サーカスは、過去、何度も繰り返してきた栄枯盛衰、盛者必衰の残酷さを、今年も音速の中に浮かび上がらせようとしている。
ジャパンパワーの勢いも頼もしい。苦戦を重ねていたトヨタは、参戦4季目にして第2、第3戦で連続2位表彰台。今季は友人の逝去などでいまだ実現していない、トヨタのイタリア人ドライバー、トゥルーリのシャンパンファイトも待ち遠しい。ホンダも、佐藤琢磨とともに必ず巻き返すはず。3月30日パリでの世界モータースポーツ評議会で「08年までタイヤサプライヤー数に制限は設けない」と決まったことで、ブリヂストンとミシュランの技術競争も続いていく。ピットからコースに戦いが帰ってきた今年のF1。新しく始まるドラマで世の中に“エンジン”がかかる前に一言、言っておきたかった。今年のF1は、見逃せない。
April 7, 2005 11:11 AM
2005年04月06日
本当の改革これから:栗原弘明
やはり観客で満員の野球場というのは気持ちがいい。3月26日、ロッテは50年ぶりにプロ野球に新規参入した楽天と、本拠地千葉マリン球場で開幕戦を行った。歴史的なカードにファンの関心も高かった。千葉マリンでは年間シートの契約数に加え、その他の席に着いた観客数を発表している。ほぼ正確な入場数だ。
開幕戦は当日券をすべて完売、2万8353人と発表された。外野自由席も可能な限りファンを入れたので、この数が球場の実際の収容人数とみていいだろう。パ・リーグ開幕日の観客数を比較すれば、昨年の計13万7000人から、今年は8万1768人と約4割もダウンしたことになる。ただ昨年までの漠然とした発表から今年は実数発表に踏み切ったことが大きな要因で、この数字を冷静に見据えていかなければならないだろう。
どの球団も今年を「改革元年」ととらえている。ロッテも例外ではない。新球団を迎えての開幕戦に、さまざまなイベントを企画して集客に努めた。中心となったのが荒木重雄企画広報部長(41)だ。外部から優秀な人材を採用し、経営をはじめとするさまざまな分野に生かしたいという球団改革の一環として、招へいされた。日本IBMや外資系企業でソフトウエア開発などに携わった。その後、スポーツマネジメントを学び、今年1月に球団入りした。
荒木部長から興味深い言葉を聞いた。「パ・リーグは今年、3つのパターンに分けられる。1つは新球団、2つ目は合併球団、3つ目はオーナーが代わらない既存の球団。楽天やオーナーの代わったソフトバンクは、当然やることは新しくなる。重要なのは、既存の球団(ロッテ)がどう変わっていくかだと思う」と言う。
そこで球団改革の指針として「服のサイズ」を挙げた。「どういう切り口でやるかをリストアップしていたら、SS、S、M、L、LLという服のサイズにあてはまった。SSはサポーターとスポンサー。Sはスタジアム。Mはメディア。Lはロッテ。LLはリーグとローカル(地域)の意味。何か1つというわけではなく、野球を取り巻く環境を重視したい」と語った。その手腕に注目したい。
選手にも改革意識はある。エース清水直行投手(29)は、開幕戦で自らデザインした「サポーター・タオル」をグルグル回して登板するパフォーマンスを見せた。勝利投手になった時には使用済みの汗つきタオルをプレゼントするなどアイデアを出している。「昨年の騒動で、本気でプロ野球がなくなるかも知れないと思った。僕自身も『投げる営業マン』じゃないけど、ファンに球場に足を運んでもらうために、いろいろ企画を考えていきたい」と積極的に動いている。
開幕当初は、華やかなムードもあって改革機運が盛り上がるのは当然だ。大事なのは、むしろこれからだ、と思う。開幕から時間が経過するとともに「のど元過ぎれば…」となっては意味がない。ファンを球場に呼び戻すために、何が必要か。その努力は本当に続くのか。シーズンを通して見守りたいと思う。
April 6, 2005 11:35 AM
2005年04月05日
手の内のタイミング:中山知子
NHKの橋本元一会長が、海老沢勝二前会長を支えた現在の専務理事8人を全員交代させると、記者会見で発表した。海老沢色を消すには、一番分かりやすいカード。でも、これはあくまでも「最初の1歩」のはずだ。その札を、なぜ2カ月も手にしたままだったのだろう。確かに理事たちの任期は4月まであった。だが、本当は会長になってまず、素早く切るカードだったはず。姿勢が問われていたはずだ。
強烈なキャラで、何をしても目立っていた海老沢氏から会長を引き継いで2カ月過ぎた。でも橋本氏が何をしたいのか、まだ見えてこない。手の内の見せ方が、下手なんじゃないだろうか。
そう感じたのは、会見前日の3月31日だ。橋本氏は国会にいた。参議院の総務委員会でNHK予算案審議で、説明に立っていた。
橋本氏は、ここでも理事の進退に触れ「人心一新にふさわしい刷新といえる体制をつくりたい」と、これまでとかわらぬ表現で交代をほのめかすだけだった。委員会は、NHKが生中継と録画で放送していた。受信料支払いを決めかねている視聴者が見ていたとしたら、意欲が直接伝わるチャンスだった。スッキリしない言い方では、伝わるものも伝わらない。
今の橋本氏やNHKにとって、視聴者へのアピールは1日でも早い方がいい。翌日発表するなら、この時話してもよかったのに。
海老沢前体制から「脱却」しているかどうかの意思表明も、あいまいだった。橋本氏には海老沢氏に顧問をいったんお願いして、世間の大ブーイングで撤回したことがある。
委員会では海老沢氏の「優れた部分、問題の部分」を聞かれて「非常にリーダーシップを発揮して、組織改革で削ぐべきところを削いだ」「7年で1000億円を超える財政圧縮をした」と功の部分だけ答えていた。気遣っているようだった。
結果的にNHKがたたかれる一因を作った海老沢氏の功績だけを並べては、反発が出るかもしれないとは思わないのだろうか。私的な感情は別にあっても「前はこういうところはダメだったけれど、私はこうしたい」と言ってのけるくらいの意気込みを、みせてほしかった。
重要なことほど、手の内は明かしたくないものだ。でも今の橋本氏には、重要なことほど次々と明かして、視聴者にアピールする「逆の発想」が必要なのではないだろうか。
技術系初の会長。橋本氏は、質問に答える前、小学生のように右手をピンとまっすぐあげて発言を求めてから礼儀正しく答えていた。誠実さは伝わってきた。
「私は前会長と違ってオールマイティーではない。現場の意見をくみ上げ、視聴者の意見を求めながら経営を判断していきたい」と、前体制との違いを、精いっぱい強調していた。
だが、委員会が終わった後、報道陣が話を聞こうと集まった時には、橋本氏は関係者に囲まれるようにして迎えの車に乗り込んでいった。多くの視聴者に手の内をアピールするチャンスは、いつでも、どこかに転がっているはずなのだが…。
April 5, 2005 11:32 AM
2005年04月04日
長男抱けぬ俊輔パパ:盧載鎭
僕は2児の父親である。二女が生まれたのは一昨年の7月。その年の冬、家内と2人の子供がおじいちゃん、おばあちゃんに会うため韓国に戻った。「せっかくだから2、3カ月くらいゆっくりしてくれば。冬のボーナスは全部、お前の好きなように使っていいから」。育児に追われる家内に休暇をあげた。5年ぶりの1人暮らし。
独身を満喫できると思った。しかし、思ったほど楽しくない。食事は外食で解決できるが、掃除、洗濯はそういうわけにもいかない。結婚する前には当たり前のようにできたことが、できない。
休みの日は家事に追われ、独身を満喫する暇がない。何よりつらかったのは、子供に会えないこと。子供の写真を眺める時間が日々、増える。3カ月後、休暇を取って僕も里帰りした。家内と子供を迎えに、戻ったのである。
一刻も早くわが子に会いたい。朝一番の飛行機を予約した。帰国前夜はワクワク、ドキドキ。自然に口元が緩む。目覚まし時計を3つもセットしたが、鳴ることはなかった。一睡もできなかったからだ。今は起きているのかな。寝てるだろうな。そう考えるうちに、朝刊が配達された。
仁川空港に着いた。間もなく我が子と再会だ。大量のおもちゃを忍ばせたスーツケースを引いて空港を出た。準備万端。しかし今度は不安が襲う。長女は以前のようになついてくれるのかな。二女はオレの顔を覚えていないだろうな。迎えに来てくれた妹の車に乗る。家まで約1時間。3カ月ぶりに味わう至福の瞬間のため、あえて子供の話はしなかった。
ガッカリ。「パパ」と叫びながら懐に飛び込んでくれるはずの長女は、僕と目を合わせようとしない。「パパだよ」と話し掛けながら手を握ると、逃げてしまった。追いかけると、泣き出してしまった。今度は寝ていた二女をそっと抱き上げた。泣く。暴れる。一日中、抱っこしていたかったが、実現したのはわずか数分間だけだった。
つい先日。セリエAのレジーナに所属し、日本代表MF中村俊輔(26)も、僕に似たような体験をした。W杯最終予選のバーレーン戦後、1カ月半ぶりに我が子と会った。
昨年12月に生まれたばかりの長男を両腕で抱いた。しかし数分で、ベッドに戻した。僕のように、子供が窮屈そうにしていたからではない。7キロの体重なのに、あまりにも重く感じたからだ。
単独トップ下でプレーしたバーレーン戦。負ければ、W杯出場に黄信号がともる一戦だっただけに、誰もがプレッシャーを感じていたはず。「トップ下で10番を背負って戦う以上、負ければすべて僕の責任」。司令塔としての重圧もあった。応援してくれた国民のため、信頼してくれた監督のため、家族のため、自分のため。全神経を集中し、すべての力を注いだ。
久々に再会した我が子を抱く力も残らないほど。
April 4, 2005 02:40 PM
2005年04月02日
映画ファンド手応え:松田秀彦
映画界の新しい試みに成功の兆しが見えてきた。松竹が、昨年11月から募集した日本初の個人投資家向け映画ファンドに、5億円の「資金」が寄せられた。対象作品は、仲間由紀恵(25)オダギリジョー(29)主演のアクション時代劇「忍−SHINOBI」。CGを駆使した娯楽映画だ。久松猛朗常務は「初めてのことだったので、正直どれほど集まるか予想もつきませんでした。達成感と同時に責任の重さを感じています」と手応えを感じていた。
ファンドとは一般的に、投資のプロにお金を預け、その運用を任せて分配金を得る金融商品を指す。銀行の利率が低いこともあって、ファンド人気は高まっている。その中でも証券会社が投資家から資金を集めて運用する投資信託の人気は高い。「株」から「映画」に応用したものが、映画ファンドというわけだ。集められた資金は、映画の製作費に使われる。
今回の映画ファンドの投資は一口10万円。元本60%確保と90%確保の2タイプが用意された。当然だが、リスクが高い60%型の方が配当は高い。申込者の7割が60%型だった。映画の成功に対する期待の高さを感じた。
映画界では、デジタル技術の高度化などに伴い、製作費は年々高騰する傾向にある。そのため、製作する映画会社だけが単一でリスクを背負うことを避け、テレビ局、出版社、広告代理店などにも製作費の出資を募り、リスクを分散させるケースが当たり前になってきた。製作委員会方式と呼ばれるこのシステムは、資金調達をスムーズにするほか、いろいろな視点の意見を集められる、公開に向けて宣伝する際、出資した各社が〝応援団〟としてさまざまな協力を得られるなど、利点が多い。その半面、船頭が多くなり、撮影現場に混乱を来す危険性もはらんでいる。
今回の映画ファンドは、資金調達をスムーズにした上、映画製作の主導権をすべて松竹が握る利点もある。意見の衝突、調整ごとが少なくなる分、クリエーティブな作業に集中できる。これが作品の完成度を高める要因にもなり得る。
では、大成功するか−。現実はそんなに甘くない。
映画「忍」の配当金が生まれる収益ラインは興行収入20億円だが、これは厳しい数字といえる。現在最大手の東宝の例をみても、昨年、実写映画で興収20億円に達した作品は「世界の中心で、愛をさけぶ」「いま、会いにゆきます」「スウィングガールズ」の3本だけ。いずれも大掛かりなメディアミックスプロモーションによって一大ブームをひき起こした結果のヒットだ。
今回の映画ファンドは、一般の観客に対して映画製作に参加する楽しみを提供した点で、意義は大きかったと思う。日本映画に対する関心を高める話題提供にもなった。しかし今後もこのシステムを継続させていくためには、皮切りの作品の成功が必須条件となる。松竹が、どのようにこの映画をヒットに導くのか、注目している。
April 2, 2005 03:11 PM
2005年04月01日
厳格統治が生む興奮:鹿野芳博
ピッチからスタンドを見渡すと、12万人のイランサポーターが歓声と怒号を上げていた。観客のすべてが男性で、女性の姿は見受けられない。イランでは女性のサッカー観戦は禁じられているのだ。
3月25日、サッカーW杯アジア最終予選のイラン対日本が行われたアザディ・スタジアムは、試合開始前から異様な雰囲気に包まれていた。
そのスタジアムの一角に、日本人サポーターがフェンスで仕切られ陣取っていた。日本からチャーター機で来た約790人のサポーターと現地邦人の合わせて約1200人。いつもの応援風景とは違い、完全に圧倒されていた。
日本人の女性サポーターが頭にスカーフを巻いていた。イランは厳格なイスラム教国で、外国人にも服装の規定がある。髪や肌の露出は禁じられている。青いアフロヘアーのカツラを覆った女性もいたが、その上からスカーフはちゃんと巻いていた。イランのテレビ局数社がこの珍しい光景を見て、しきりにインタビューしていた。
女性の肌が露出している写真や髪を覆っていない写真も持ち込めない。入国のとき日本の週刊誌(漫画)をスーツケースに入れていて、空港職員に中身を検閲された。巻頭カラーは松浦亜弥のグラビア写真で、後半には水着のタレントの写真もあった。没収かな? 空港職員はたまたま漫画の部分だけ見て返してくれた。
イランでの制約はこれだけではない。私にとって一番つらかったのは飲酒が固く禁じられてることだった。同じ中東でアラブ首長国連邦(UAE)とオマーンに行ったことがあるが、外資系ホテルのレストランで酒を飲むことはできた。しかし、イランではお酒を見ることすらなかった。「地球の歩き方」で見つけた中華レストランに行き「紹興酒ありますか?」と聞いてみたが、笑われた。結局ノンアルコールビールを飲んだ。
軍関係の施設や空港、駅の写真撮影も禁止されている。写真撮影には気を使った。
ただ、ここまで厳格に国を統治しているのであれば、サッカー観戦マナーも厳格であって欲しかった。
競技場のゴールライン沿いのカメラマンの位置で、撮影した写真を日本に送るため、パソコンを広げ、衛星電話をセットしたとき、りんごやミカン、大きな硬貨、パン、ペットボトルが私めがけて投げ入れられた。近くの広告看板に当たると「ドスッ」とものすごい音がした。ふざけて投げ入れている物のスピードではなかった。同僚の衛星電話にはトマトが直撃し、ベトベトになった。
日本人サポーターにも2階席のイラン人からいろいろなものを投げ込まれ、数人が頭や目にけがを負った。
イランサポーターに至っては死者が出た。勝利に興奮した地元サポーターが競技場の出口に殺到し、5人が死亡、約40人がけがをしたという。
規律と別にある度を超えた興奮。何が原因でこのような事態になったかは、定かではないけれど、「イランの厳格さ」というものを考えさせられる出張だった。
April 1, 2005 12:00 AM
